日本に再び国力増大の時代がやってくるべきか?
2021年12月06日

娘が中国に行ってしまったのですが
たぶん部屋はそのままにしておきます
ただモニターを設置してパソコン作業をするくらいです
もちろん江戸時代は江戸時代で問題はあったわけで、なにも江戸時代に回帰すべきなんて主張をするつもりはありませんが、ただ成長なくして国民の幸福なしという考え方には疑問を持つということです。ひょっとして国の実力に不相応な成長を求めることで、実は成長せずに格差だけが広がっていくという可能性はないでしょうか?ひとつ自分の頭で一からみなさん考えてみてはいかがでしょうか? その場合に専門家の話を聞いても勉強をしてもいけません。そういう切り口であれば素人が専門家をその専門によって上回ることはありません。そして少なくともこの国の専門家の国の舵取りは怪しいです。であればまったく違う切り口で物事を一から見て自分で考えたいということです。それでわたしは江戸時代の話を持ち出したわけです。
高度経済成長の時代が戦後あったわけですが、明治維新と似ているなと感じるのは、日本人は真似が上手いということです。そして先行する何かを猛烈に追い上げて捉える力がある。独自性がないとかまでは言いませんけどあれだけの経済成長の理由としてどちらが支配的かというと、真似して追いつくのが主だということです。そこで今の日本人は明治維新以降とか戦後の経済成長を自分たちの実力だと勘違いしてないでしょうか?そしてそれは懐かしむべき良き時代だったでしょうか? 日本人の実力というのは真似すべき対象がいない例えば徳川300年ではないでしょうか? 自分たちで世界をリードしようと考えるとかえっておかしくなりはしないかという気がします。 日本人はお上になんとかしてもらいたいという人が多いですから幼稚な民主主義しか育っていないとわたしは考えています。だから目標が定まれば国が一丸となって突き進むことはできても、個々が自分なりに幸せを追求することが苦手です。人と同じでないと安心できないのが日本人です。であれば経済成長ではなく一億総ムーミン谷の住人で静かに穏やかに幸せに生きてもいいじゃないか、ってそういう考え方が多少のシェアを占めても不思議はないような気もするのですけどそうはなってませんね。
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