なんのために働くのか?
2021年12月02日

朝方まで雨が降り続きました。お客さんがとても少ないとアルバイト直前でも電話がかかってきて、今日は来なくていいよと言われます。もちろん給料はでません。バイト代が必要な人は働けないと思いますが、わたしはバイトがなくなったら自分がゴルフをするだけです。幸い雨は上がって良い天気でしたし、気温も高かったです。ただ風が強かった。風が強いとスコアは悪くなりますけどまあ気にしなければ良いと思います。もともと働いている時間は短いのでバイトしてもしなくてもそのこと自体は問題ありません。たぶんですが今年は雪が多めでゴルフ場は長期営業休止になるかもしれません。雪が溶けるなら営業はしますけど雪が溶けない状態になったら無理に除雪せず休みになるのです。毎年数日はクローズしますが長い時は1ヶ月くらいクローズということも過去にあったようです。もしもそうなったら、ここでスキーでもしようかなと思っています。ちょっとした山があるのです。カート道だけ除雪されたらゴルフカートで登ってスキーで降りられるかも。何人かでやらんといかんか?そんなことするくらいならスキー場に行けばいいかな? シーズン券持ってるんだから。まあなんかして遊びたいなと思います。
なんのために働くか?ってこれは現役時代には金銭だとかあるいは自己実現とか言っていたけど、今になるとなんか違っていたなって思います。もちろん給料がでないなら働かないとは思うけどやりがいは金額の多寡じゃないし、自己実現とか言うとなんか綺麗事すぎて本当に自己実現のために働いていたなんて思えない。ざっくりと言ってしまうとこの今のゴルフ場のアルバイトも外資大手の営業部長も働くという本質は同じなんじゃないかなって気がするのです。じゃあそれは何かと言うと一番しっくりとくるのは「生きてる」人間が生きていくという上では、ゴルフとかで友人と遊んだり家族と時を過ごしたり、それこそ旅にでたりと、労働をするという時間は質においてなんら変わらない気がするのです。遊びも仕事も重み付けに差がないという気がします。結局生きている間の時間の使い方というだけで、であるならその瞬間瞬間というか、その時間の中で、いかに生きるが輝くかってことじゃないかしらって今は思います。仕事だけがなにか特別な存在だということはないとこの歳になって思います。逆に言うならいくら仕事で成功してもそれだけでは意味がないって気がする。生きる全体が輝くことでその中で仕事も生きると言いましょうか?
まあこんなこと言えるのはもう仕事を辞めているからなんですけど、でも振り返るとわたしはわかっていないようで、漠然とわかっていた節がある。いくら仕事が忙しくても家族との時間を最優先にしていたし、社会的栄達にもこだわらなかったし、それこそ会社を自己都合で退職して児童養護施設に行ったり。これって当時は、自分は株で儲かって食うに困らないから好きにしてやれってだけだったんです。好きにしてやれってなったら会社を辞める選択になった、もっと儲かると今度は金儲けそのものに興味がなくなった。じゃあなにが好きかって言うと、わたしは格好良く生きたいのね。人がやりたくてもできないような痛快な生き方をしたい。たった一度の人生だから自分で納得できる人生にしたい。でも株で儲けてなかったらどうしてたんだろうってことも思います。わたしだったら他のことしても儲けたような気もするけど、いまでも立派な肩書きつけてサラリーマンやっていた可能性もある。それでも今のような氣分になるのかしら? 那須岳を望みながらこんなことブツブツ考えているけど、まあ那須岳は返事はしませんな。たぶんくだらんと思っているでしょう。そんなことより短いパットを真面目に打てと言われそうです。
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