脱炭素と原油価格の未来を考える
2021年11月24日

時々記事にこの画像を使います。自分なりには意味があるんです。
金属を貼り合わせるなんてそんな手作業でやるもんじゃなくて立派な製造ラインが必要で、それが100万個から数十個に注文が減ってもほぼ同じ製造ラインを維持しないといけない。となると、その保守管理とかその人的コストとかが全部数十個に乗ってしまうわけです。あるいは少量でも金型を作らないといけないとなるとその金型が高い。新規の金型でなくても金型の保守更新だってあるわけです。それでも自動車メーカーは買ってくれました。これもいろいろあって、新しい何かの注文を出せるなら、そこでうまく織り込むという手があるんです。新製品の注文を出すから、、そこからうまくやってくれってことです。ところが我が社の場合は代わりに買ってもらう製品がなかった。その後センサーの開発に成功して売り出したけど、当時は買ってもらえる製品がまだなかった。そうなるとただその少ない製品を納めるだけの取引になりますから、これはいくら高くてもその値段ですと買ってもらうしかないわけです。やるほうも儲からないから本当はやめたいけど、これは契約もあって止められない。自動車てのは部品一個足りなくても車が作れないんです。
これもやっている人間の当時の本音を言うなら、もう取引がなくなって切られるとわかっているお客様のためにコストダウンだとかして頑張ろうって気は起きないのです。やっても無駄です。だから割とダラダラと続けましたけど、数が減るなんて気にならないのです。だって注文が100個から50個に下がっても単価が倍になるだけです。つまり売上は同じ。固定費がでかすぎて、数量で変動するコストなんて無視できるほど小さいわけです。競合もあることはあったんですけどどこだって同じでした。馬鹿馬鹿しい喧嘩する意味ないわけです。少しでも長く高く単価を維持して延命するしかない。長々とこんなことを書いてきましたけど、懸命な読者ならお気づきでしょう。わたしはこれと似たような構図が石油業界で起きるかもしれないと想像しています。誰からも聞いてませんけど勝手に想像しています。もちろん同じになんかなりっこないですけど、要点として似た構図という意味です。
石油業界に詳しくない人間でも莫大なインフラコストを必要とする産業だってことは誰でもわかります。掘って精製して保管して運んで売って、すごいインフラがある。そして業界の話し合いの場もちゃんとある。産油国は原油の注文がどんどん減っていく時にかわりに何かもらえるわけじゃない。いつかどこかで終わりになる。それが見えているのに、今の値段で売るわけないと思うし、インフラコストだけを考えても量が減ればそれは価格に反映せざるを得ない。だから脱炭素が具体的になればなるほど、そして需要の転換が進めば進むほど、最初は石油と脱炭素が競合しても、どこかで石油が開き直るポイントが訪れる気がするわけです。これを収めるのは容易じゃない。すごいスケールになる。そこでちと思うのは石油メジャーの存在です。石油メジャーは原油からくるあがりをつぎ込んで代替エネルギーの開発をしているわけです。つまり産油国と違って脱炭素になったらなったで先がある。それも片手に石油、片手に脱炭素となって、これは両手に脱炭素でいっぱいいっぱいの脱炭素組とも石油組と異なる立ち位置のわけです。腕のいいビジネスマンならなんかうまいことやれるんじゃないかななんてわたしはそう思います。まああくまでも素人の戯言なんですけどね。ただ素人も玄人でもいいんだけど、こうやって一人でいろいろ考えつくって力はこれはどこからきたんか知りませんけど、そんなに外れたことはないんですよね。
- 関連記事
-
-
結局間違えた人間が負け、それを咎める人間が勝つ 2021/06/25
-
専門銘柄を見ながら暴落に耐える 2020/03/09
-
分別ある大人の自慢 2021/12/14
-
株は楽して簡単には儲かりませんが、楽とか簡単ってどの程度のこと? 2022/10/22
-
投資の成功とは 2017/05/02
-