「わたしが馬鹿だった。」と「わたしは馬鹿です。」の違い

2021年11月18日
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日々の雑感ーリタイアライフ
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気仙沼でいただいた鮨
鮨ってのはうまく握れたり握れなかったりの差というのはあるもんなんですかね?
あるとしたらどれくらいなんだろう?

なんか失敗したりうまくいかないことがあった時に「わたしが馬鹿だった。」とか言う人がいますよね。会社でもいました。反省したり言い訳したりに使われる。一方で「わたしは馬鹿です。」って自分で言う人は珍しい。馬鹿ってのは風邪みたいなもんですか? 馬鹿は風邪ほど簡単には治らないでしょう。だいたい馬鹿てのは馬鹿なことを繰り返します。ということで馬鹿だったって過去形で言うあたりから???かもしれません。いや別に馬鹿を馬鹿にしているわけじゃないですよ。そうとられてもいいのですけど、馬鹿が自分でわからないのが一番の馬鹿だと、これって昔の偉い人も言ってます。無知の知とか。さすがに学校で勉強しました。

前のロイヤルカップルへの批判誹謗の記事にも関連しますけど、このブログでよく書いていることに、「人は自分が聞きたいことを聞く。聞きたいようにしか聞かない。」なんて言葉があります。自分が聞きたい情報を受けいれて、意に沿わないものは無視する人間がいる。これと似たことを偉い先生が書いているってコメントいただいたことがあります。バカの壁とかいうらしいですが、わたしはその本は読んでいません、というか、昔からそういうノウハウ的な本は読まない。特に人生論とか幸福論とか処世術かまったく読みません。自分で書けばいいのです。自分で書いたものを読み直してリマインドしておけば十分ですというか、我ながら面白くて、わたしより上手いこと書く人はそんな多くないんじゃないでしょうか?知らないけど。

そして見事なくらい実践で生かされている。その経験が詳に書かれているんだから余計読み応えもあるんじゃないでしょうか?え、自分で自慢するのはバカですか? 敵を作るだけ?こんな馬鹿なら治らなくていいです。どんなに気を使っても全員から好かれることはない。でもわたしは自分の経験から確信してます。その敵はいつかはいなくなる。自分が離れてもいい。でも味方はずっとそばにいてくれます。敵を作らないなんて生き方じゃなくて味方を作る生き方をしろなんて若者には言いたいです。そんな記事を書いてみましょうか? いやすでに書いたかもしれませんね。そう思って生きてきてそれで思っていること書いてんですから。


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