野暮なブログは書きたくない
2021年11月07日
福利と複利なんて記事を以前書いています。ある複利と福利についての記事を読んで確か自分も書いていたなと検索してみたわけです。今自分の記事を読んで上手にまとめるなと笑います。そんでそのコメント欄にもさらに笑ってしまいました。偽物のロレックスを持ってご機嫌な人間に向かってそれは偽物だと指摘するのは確かに野暮です。笑い話としては楽しいけど面と向かって言うと喧嘩になる。つまり正しいからと本人に向かって何でも言っていいという話じゃないわけです。じゃあ面と向かわなければいいのか? そこは陰口じゃダメなんです。本人に読まれてもいい覚悟で、かつ読者に洒落た笑いを提供するってことです。そこで初めて開かれた場に耐えられる文章になるってことです。
ブログなんて読んでいるとまあ正しいのかもしれないけど、お前が言うか?って物言いが多いんですよね。その逆にやたら怖がってはっきりとした物言いができない人もいる。せっかくの自己表現の場なんですから、そこは塀の上をどっちにも落ちないで渡るくらいの気概で書きたいなとわたしは思っています。ハルトモが言うか? そうだハルトモが言うのだってくらいの文章を書きたいってことです。
そこで気になるのは正しいとか間違っているとかじゃなくて、美意識というか、野暮はいやよってことです。野暮にならないためにはどこぞで自分を笑っている何者かを意識することです、極端な話 お天道さまに笑われるようなことを書きたくない。例を言うなら、わたしは読者の皆様の幸せを願っていますとか、、お天道さまは笑いますよ。それは俺の仕事だって。お前は自分のこととせいぜい身近な人間に、自分ができることすればよいと。
下心が見え隠れする文章も野暮です。人になにかさせようという文章も野暮です。わたしは長年ブログを書いていますけど本を書かないのですか?なんてコメントいただくこともわりとあります。まあ仮にわたしがハルトモ勝手流投資術なんて本を書いたとしましょう。ブログから適当に抜いてまとめれば本になるでしょう。書いた以上は皆様の投資のお役に立てれば幸いですくらい言わないといけない。そしたら心ある人はどう思います? なんだよ、ハルトモも結局名声が欲しいんだなとか、印税が目当てだなとか、人の役に立ちたいとか綺麗ごとを言い出したなとか、そういう揶揄がもうわたしには聞こえるわけです。そんな野暮なことはしたくない。別に悪口言われるのはなんとも思わない。馬鹿には言いますよ。だけど、自分が笑われたくない視点で笑われたくないってことなんです。
わたしの場合はこんな文章を書いて17年目なんでござんす。もう芸風って領域です。少なくともハルトモ君については自分の精いっぱいの才能がこのブログに出ています。これ以上の文章は書けない。まあまったく違う領域の文章はあり得ます。実は自分が詳しい領域について執筆を依頼されてお金もいただいてまったく別の名前で寄稿したりしています。読んでもハルトモだなんてわかりません。わたしが
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