信じる者は救われず

2021年11月06日
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株式投資

ずっと興味があったんです。一見まともそうに見えるらしいんですけど、冷静に読んでいけば書いている内容はどこぞで仕入れたかのレベルが低い内容だったり、あるいは怪しげだったり、自分に都合の良いことだけ思い込みで書いているとか、そういう株ブログがあっても別に驚かないんですけど、なんでそんなブログを多くの人が師匠とか先生とかと崇めて称賛するんだろう? それがよく理解できないわけです。それで随分といろんなブログとかその取り巻きというか追随者というかを観察したんです。理由が知りたい、なぜ知りたいかって人間観察の興味ですけど、わたしがよく書いている投資詐欺に騙される人たちが後を絶たない理由は何かと同質の疑問なんです。つまりそういう人たちは詐欺被害の予備軍じゃないかなってことで、つまり裾野の大きさを感じたわけです。

いろいろパッと見える傾向はあります。女性が多いとか(実際詐欺の被害者は女性が多い)身近に相談できる人間がいなさそうだとか、レベルが低い人間ほど師匠とか先生と呼ばれると喜ぶってこととか、でも女性だってしっかりとしてる人はそんな低レベルのブログに感心したりしない。相談する人がいないってのはこれは多くの人がそうでしょう。それでさらに細かに観察していくと気づいたことがあります。多くの人はそのレベルが低いとか怪しげなブロガーを師匠とか先生と呼ぶようになるために、ほとんど時間と手間をかけていないということです。なにか判然せずどうしたらいいのかわからない、そんな悩める子羊が、急に自分にもわかりやすい言葉に出会ってこれだ!て飛びつく。そういう人が圧倒的に多い。どうやら元々そういう人を求めていた節がある。誰かの言う通りして正しい?方向に導かれたいという願望、まさに救世主待望です。強く求める気持ちがあればあるほどあっけなく信奉するようになる。そこから先は簡単です。信じてしまった人はなんでも美化して捉えます。多少の辻褄なんか気にしません。だって自分にとって先生師匠はそこにいて欲しい存在なのです。

なぜそういう人間がこの世に多く生まれるのか?日本固有の状況なのか?ここからはまた考えなくてはいけないのですが、大袈裟な話、日本の軍国主義になぜ日本人は追随したのか、はたまたホロコーストとか、アフリカでラジオに洗脳された大虐殺とか、いろんな事件に思考が及びます。論理的には正しいとは考えられないのになぜ人は信じてついていってしまうのか?という大きな命題です。ただ株ブログについては実はすでに研究活動は止めています。これ以上観察しても新しい要素が出てくると期待できそうにないからです。ただ少なくとも言えるのは、求めるからこそそういう輩も現れ活躍できるということです。やはりニーズが先なんだろなとは感じてます。当たり前ですけどこと投資については、信じる者は救われずでしょう。どんな株ブロガーでもあなたを心から応援も心配もしません。そう言っている人間は誰にでもそう言うのです。信じていいのは自分とあるいは伴侶くらい。その理由は儲かるという意味じゃなくて、おかしくなっても後悔はしないという意味です。後悔しないことをした方が良いと思います。何が正しいかなんて結果みないとわからないのですから。


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