逆転の見込みなき30年を生きないために
2021年11月05日
自分が18歳の頃はそれはそれは貧乏な家庭の子どもだったんだけど、それでもやってやろうじゃないかという気概はありました。それでまさに30年後の48歳の時には、いわゆる経済的自由を手にしていたわけです。富裕層という言葉が夢でもなんでもなくなった。30年という時間は若者にとってやりがいがあり、自分が得たい物を手にするために十分な時間はあったわけです。それが50代後半くらいになると、それぞれ老後の生活設計はすっかりと見えてきます。見えていないとすればそれは悪い方に振れるくらいで良くなる方はそれは視界以上のことはまず起きない。仮にあるとすれば株で一山当てるとか宝くじに当たるとか、、、まずないでしょ。60歳すぎてから株を始めて億り人になった人っているんすかね?いたとしても滅多にないってことは間違いない。宝くじの方が確率高いんじゃないでしょうか?
それはそれなりに自分が納得できる成果を得た人はいいでしょう。ただもしも長い老後を後悔とか鬱憤を抱えて生きるとしたら平均余命までの30年はあまりに長いと言えましょう。いくら騒いだところでどうにもなりません。そういう人が老後に取り組むのにデイトレというのは絶好の心の拠り所になるんじゃないでしょうか? だってやっている以上はこれから良いことが起きるかもしれないわけです。止めたら先の知れた現実を受け入れるしかないけどいつか腕を上げてよい日銭を稼げるようになるかもしれない。もう億り人になるなんてとっくに諦めていますけど、毎月いくらか稼げるようになるってことなら、まんざら起きない話でもない気がする。それで老眼を瞬かせながらパソコンなりスマホの画面を凝視してデイトレに勤しむ。それは一方で趣味のない老人にとっては絶好の暇つぶしでもあります。いくらかでも儲かればただ以上で1日遊んだと思えばよい。旅行に行ったり遊びにでれば金がかかるだけ。美味しいものもそれなりの値段がする。数千円、一万円そんな小銭でも十分刺激にはなるわけです。今日のトレード、なんて書いている、リタイア族のブログなんてゴロゴロしていますけど、どんな心持ちでやってんでしょうか?
そういう人にかける言葉はありません。自由にやられたらよろしいわけです。ただ彼らにも若者という時代があったわけです。彼らはその時に何をしていたのでしょうか?今わたしと同世代の多くは私よりはるかに恵まれた家庭に育ち少なくともわたしよりは大切に育てられている。なんで私程度の暮らしができないのでしょうか? それをぜひ今の若者というか現役世代の人に考えていただきたいですね。定年なんかまだ先のことだとのんびり構えていませんか?漠然と考えていても行動に移せない自分がいませんか?正しいとか当たり前だと教えられて信じてきたことは本当に自分のプラスになっているんでしょうか? そして最大の懸念は、このままで自分は後悔しないだろうか? ということです。後悔のない人生が一番だとわたしは思います。
- 関連記事
-
-
水素関連銘柄はマネーゲームになるのでは? 2020/12/09
-
勝つという確信の降臨 2018/01/11
-
無登録で有料メルマガで銘柄推奨などの投資助言は違法なのか 2022/11/17
-
株式投資は複利じゃなく福利で 2020/09/04
-
掛け捨て医療保険 2013/09/27
-