株というのは自分より上がよく見えない世界
2021年10月05日

広島空港の近くに
竹原という古い街並みが残っています
どれくらい古いかというと
この商家ですが1690年の築だそうです
なんと元禄年間
塩で栄えた街だそうです

これは竹鶴酒造と言って
ニッカウイスキーの創業者の生家だそうです
朝ドラのまっさんですね
株式投資というのは別に目標を設定するのは構わないんですけど、そこに人生観とか価値観とか美意識とリンクしたいわゆ全人格的なビルドアップのプロセスがないと、ただ目標(数字)だけがあるという状態で、仮に達成してもまた目標を上に上げていくだけになってしまう。まあそういう人が成功者にも多いわけです。だから目標を達成した割に幸福感がついてこない。挙句には目標に向かって走っている時の方が楽しかったとかなりかねない。人生というのは生まれた時には目標なんかないのです。そして死んでいく時にも目標は要らない。目標というのは人生においての本質的な存在じゃないのです。いうならスパイスとか小道具という位置付け。だから目標を達成しなかったら不幸だとかそれもおかしな話ということになりますね。まあそれで達成したほうがいいんですけど、目標は達成した後こそお楽しみだ!なんてわたしは思う方です。次から次へと目標なんてこと思わない。それだけ踊り場を大きく持てばまた別の目標が出てくることもある、そんなふうに思ってます。
せっっかく記事のタイトルを書いたので、本題にはいりましょう。株式投資というのはこれは人それぞれいろんな考え方もあるし、他人様のありようを見てどう思うかどう感じるかってのはあるんですけど、やはりこの人は凄いなとか、この人は大したことないなとか、あるいはお話にならんなとか、それぞれ自分の視線から人が見えるわけです。でもおもしろいのは自分より下はよく見えるけど自分より上はよく見えないのです。ある人のことが凄いと言えるなら、その人はもうその凄いレベル近くにはいるんです。多少は違ってもだいたい同じ面にいるわけです。それは自分より次元が上に行ってしまうと見えなくなる。全然凄いと思えない、逆に下に見えたりする。投資の世界で勝っている人の真似をすれば良いという人もいたりしますけど、見えないものは真似できないわけです。凄いとも思わないものも憧れることもない。あの人は相場は凄腕だ!上手いな!とか言ったところで実は見えている範囲は限られているということです。いろんな人とのやりとりもすんですけど、この人はどの面にいる人かなって意識はわたしはあります。
こと相場に関してはわたしよりもずっと上の面の人もきっといるんだろうなとは思いますけど、別に卑下することもないし悔しがる必要もない。一方で否定するほど馬鹿でもない。自分の人生観といる面が調和していれば良いのです。ある相場師二人から声がかかって実際会いに行ったこともあります。こと投資についてですけど呼ばれたから会うというのりはわたしはないです。会って話すことないし。ゴルフなら会ってもいいですけど。たぶん彼らがわたしを呼んだのは同じ面にいるという意識があったはずなんです。でないとああ人たちは人を呼んだりしない。わたしも同じ面にいるって感覚はあるから呼ばれて会ってみようとなる。ある相場師さんは、また別の相場師に会いたいと言われてるのでコロナが終息したらセッティングして会ってみたいなと思っている人がいます。もう17年近いけどネットでのお付き合いだけど、西野流呼吸法の生徒だという共通点があります。わたしは22年、その方は30年くらい? また中村天風師の著作に影響を受けているという共通点もある。まあ人生観としては同じ面にいるんだろうなって感覚はあります。
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