インチキイカサマの何が悪い
2021年09月30日

色川武大こと阿佐田哲也氏が亡くなられたのは1989年、この本はまさに遺稿として、その1989年に出版されたらしいがわたしはこの本の存在を知らず、1989年から30余年を経て、まさに久闊を叙するが如く那須塩原の図書館にて邂逅した。読みやすいので1時間で読了。なんと言うか彼がもしブログを書いていたら、、というノリでのプライベートエッセイを読んでいる気分がした。ブログと言っても日記ではない。日々の移ろいに心が揺らぐ、それを文章にしたためながらそこに自身の創作性を持ち込んでいる。私自身もブログで日記を書いている気はさらさらない。自身が身近な題材になっていることは間違いないけど、では日記かと問われれば明らかに否と答える矜持はある。ハルトモとのつきあいも16年になるので多少渾然一体気味であるが、かと言って絶対に同一ではない確信もある。たぶん色川武大氏もそんな気分で最後の文章を認めていたのではあるまいか? それくらい無頼としての心根の皺が文脈に現れ出ている。
わたしが株式投資の記事をよく書く本当の目的がどこから来往するかと言えば、荒唐無稽なギャンブルワールドを踊り歩く無頼漢を描きたいという気分と答えたい。無頼というのは薄汚く卑屈で世間の倫理なんぞどこ吹く風と笑い飛ばす存在であり、だからこそ平気で人を蹂躙し利用し貶める。煩悩と欲まみれのお前が馬鹿なのさ、と言い切る。その具象化された姿がハルトモであった。世間的な評判などあえて捨てて若干偽悪家気味ながら、一応悪なりに筋の通った生き様を描いてみたい。それが作者であるわたしのハルトモへの期待であった。無頼という意味ではどうやら作者は明らかに出来損ないである。人を利用して食えないのである。人を食わなくても自分の暮らしが成り立ってしまった。立派と言えば立派だけど、無頼としては失格である。無頼はインチキとカラクリで素人を籠絡しないといけない。うまくできるかできないかはあるのだが、少なくともやろうとしている人間にどこぞとなく惹かれる自分がいる。インチキカラクリの何が悪いと凄んでみたい。「イカサマだから払えねえ?」阿佐田哲也作、ドサ健の名セリフである。イカサマしてなんぼが無頼なんだから。株の世界にも無頼がけっこういて、上手も下手もバカもいるけど、まんざら嫌いじゃないのです。
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