自身の経験と他者の経験は違うで終わらせない
2021年09月10日

どういうわけかかみさんの旅行鞄にこんなタグがついてます
もちろんわたしのですが
懐かしい人には懐かしい
わたしはこんなのみたら話しかけたくなりますね。
文章で性格はわからないけどおつむの程度はだいたい知れます。馬鹿には賢い文章は書けない。まぐれはない。これはブログなんかの話じゃなくて、長年文章を書き話す仕事をしてきた経験則です。日本語でも英語でも同じです。ビジネス文書みたいに用件を伝えるだけが目的なのに長いこと訓練しないとできるようにならない人とすぐにできる人といる。人を説得するなるともう才能かなと思わせるくらい。ただその上に面白い人を引き込む文章というのがあるんですけどそれは別の話。わたしも若い頃はVISIT REPORTとか書いてましたけど、すごく人気があってみんな読みたがりました。光景が目に浮かぶようだって言われたこともあります。その上で要点を押さえて状況を見誤らない論理がないとVISIT REPORTの役を果たさないわけです。
さて論理的であることが他者の経験を生かすベースになるということですが、実はこれだけでは足りない。他者の経験を自分の感情に落とし込んでいく作業がないといけない。いわゆる共感するということ。自分の経験が貴重なのはその現場の臨場感があるからであって、そこには間違いなく感情の動きがあるわけです。だからこそ強く記憶に刻まれる。一方で他人の経験を文章で読んで頭で理解しただけでは本当に理解したとは言えない。感情的な部分も含めて論理ともに全体像に共感する作業を経て、自分があたかも擬似体験をしたかのごとく感じることで初めて自分のものとして生かすことができる、わたしはそう考えます。
つまり感情というのは、情感と逆さにした方がわたしは響きが好きですが、むしろ主人公と言えるくらいの存在なんだけど、そこは役者と同じで出番というものがあるってことです。論理という脇役が弱いと主人公である情感にも活躍する場が用意されないとでも言えましょうか。論理と情感は対極的に語られる傾向もあったりしますが、わたしに言わせると、実は時と場所を変えて両者がないまぜに、それもわきまえて出現するべきものということですね。人間というのは何に感動するか、心を動かされるかはその人それぞれです。感動は背伸びもできないし逆に屈むこともできない。何に感動するかはその人そのものです。そこにはその人の持つ論理と情感のバランスと出場所がきっと大きく作用しているんじゃないかなって思います。若いうちに本をたくさん読むと良いと思います。
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