断捨離思考と株式投資

2021年09月09日
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株式投資
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知床で買ったサケがさいたまにやってまいりました
知床が追いかけてきた気分です
味はまさに知床でした

断捨離というと物を捨てることだと思っている人が多いと思います。詳しくは知らないけど本来の意味は違うでしょう。物ではなく例えば名誉とか社会的な地位とか名声とかあるいはそれらを求める欲望とかから自分を解き放つのが本来の断捨離じゃないかなって想像します。そういう意味ではわたしはなかなかいい感じです。会社を54歳で自己都合退職して、肩書きも収入も捨てちゃった。児童養護施設に行ってまあわけのわからん活躍をして、そんで株も不動産もかなりやるけどもう十分と稼ぐのを止めてしまう。これって欲望の断捨離って言わないのかな? 物をちいとばかり捨てても、煩悩やしがらみや欲望なんぞたっぷりと抱えていたら何の意味もないんじゃないかしら?逆に言うと満たされているという充足感から断捨離って始まるってことはないかしら?わたしは別に断捨離の勉強なんて全くしてません。何も知りません。でも断捨離ってことで物を捨てる一方で心持ちが断捨離されてないなら、たぶん形だけだなって漠然と思うからこんなことを書くわけです。

わたしの場合は、何も教わらなくても勝手にこうやって考える癖があるんですが、その自分で考えたことが外れてひどい目にあった経験がないんです。むしろビンゴ!てのが多い。会社でのビジネスも投資もなにか体系だてて勉強したわけじゃない、とくに投資なんてひどいもんです。売っている投資の本を一冊も読んだことないし、セミナーにも行ったことないのに、ブログで15年書き放題、書いた量でも大変なもんで、原稿用紙で投資についてだけで1万枚か2万枚書いているでしょう。結果がでてるってのもあるんだけど書いていることはそんな見当違いじゃないらしい。ただ株についてわたしと同じようなこと言っている人他に知りません。人生観については似たようなことを言う人はたまに見ますけどね。

何もないところから自分でなんか考える。株式投資については何も勉強してないけど、株というのは企業に投資をするわけでしょ?じゃあ誰よりもある会社について詳しくなるのが先じゃないか?でもそんな会社がたくさんあるわけはない。自分が置かれた環境で戦えるフィールドは決まってくる。そのいくつかの中でボッシュというのがチャンスという動きが見えてきた。最初から儲け話はないかなって鵜の目鷹の目の投資家と視点が全く違うのです。詳しい会社の中から何年か待ってチャンスと見れば出動するんです、、、まあいいや、どうせ誰も真似しないし真似できないし、言ってることもわからないでしょう。言うなら思考と欲の断捨離ですよ。欲にまみれて儲け話を追うってのは精神的にはきっと断捨離じゃない。つまらん情報なんかわたしは最初から入れないのです。勉強して努力して株の上達を目指す人、いわゆるなんでも教わりたがる人にはまったく縁のない話でした。


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