株式投資における運とは何か?
2021年08月27日

自家製のドレッシングなんだけど
那須のレストランの真似です

きのこのキーマカレー
ターメリックライスで
夏はカレーが美味しいですね
「自分は実力があるんだけど運に恵まれなくて結果がでていない。一方実力もないくせにたまたま運に恵まれてうまくいっただけの人間がいる。ついてただけなのに偉そうに言われると気分が悪い。自分の方がはるかにレベルが高いのに。」こういう趣旨の発言をされる人って、どこの世界でもいます。会社でも同じようなこと言っている人がいました。スポーツとか芸術とか芸能界とか、あるいはビジネスとか投資とか、いろんな世界で実績をあげた人間というのは羨望と同時に嫉妬も受けるわけです。ただ運と実力というのは誰も切り分けができないものです。定量的に決して測れない。一時良くても消えていくとかあるので結果を長く見ていくしかない。その切り分けできないものに、どんな理屈を並べようが負け惜しみにしかならないことを言うのは格好悪いわけです。自分で結果を出せばいいわけでそれができないなら悔しくても黙ってるって、わたしはそういう流儀です。
うまく行った人ってだいたい自分で運がいいって言います。自分は運に恵まれていないと言う人でも運の存在は認めている。でも自分は運に恵まれないって言う人はつまるところ実力が足りないのです。どこかに運に恵まれたいという気持ちがある。運に恵まれた人を羨むというのはそういうことです。本当に実力がある人は運に頼ったりしない。それでも結果として運が良かったとなる。運に頼る気持ちがどこかにある人には運てのは来ないのです。 自分は実力があるのに運に恵まれないと本気で思うなら、運なしで結果を出せばいいことです。自分のことなんですからなんとしても結果を出すんだ、ってことです。
人間の運というものついて語る勝負師って多いです。阿佐田哲也氏もそうです。ただギャンブルとか勝負事で言う運とは上に書いた運と意味が少し違います。彼が言う運というのは、勝負の流れあるいは風向きのことです。その風向きにうまく乗ること。そして逆らわないこと。株も勝負事の一種ですから、この風向きってのは確実にあります。行けるところでどんと行く、行きたいけど風がむかなきゃ耐える。風と喧嘩してはいけないのです。その風に乗るためにはいつも自分が良い体勢でいることが重要になってくる。これは阿佐田哲也氏の語る運、これはギャンブルの本質だろうとわたしも思いますけど、株の場合は、その風向きというか流れというのは間違い無くありますが、世間で言うギャンブルよりも要素としてずっと低いのです。それもあってわたしは競輪よりも株の方が簡単だって言うのです。つまりどういうことかと言うと、運てのはあてにしてはいけないけど意識してないとだめってことなんでしょうかね?このあたりはまだ思考が続くという感じですね。
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