己の足るを知るの意味

2021年08月15日
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株式投資
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かみさんワクチン副反応で夕食作る気力なし
ということで地元のイタリアンのテイクアウト
昔はずいぶんこの店に通ったんです
思うに
わたしも最近は客単価が少し上がったのかもしれません
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久々にいただいたけど美味しかった!

わたしはこのブログで己の足る知るということについて折りに触れて書いていますが、世の中では足るを知るという意味がわたしとかかなりかけ離れた意味で使われています。例えば自分も株式投資で億を稼げるのではないかと期待して株式投資を始めた。ところがそんなうまくはいかなかった。株なんてそんな儲かるもんじゃない、地道にコツコツとやろう。それでも自分的には十分満足だ。これはわたしに言わせると己の足るを知るではありません。言うなら自分がどの程度の人間か、足るを知ったのではなく、むしろ思い知らされた。つまり諦めざるを得ないという過去形の状況なんです。諦めてどうあがいてもそれ以上はないと認めざるを得ないからそこで妥協的に足ると自分で思う。

わたしの足るを知るはだいぶ違います。結果から足るを知るのではなく、自分はここまではできると予見してそこまではやりきり、そしてそこで満足する。やる前から自分でここまでと決めている。つまり自分の能力をかなり余らせてないとできない「足るを知る」なんです。自分の能力を吐きだした挙句に思い通りいかないと諦めて足るを知るとはまったくの別世界。わたしは自分の足るを自分で決めた。そしてその足るを実現した。結果から見てそれで満足しようと言う足るではないのです。もっと言うならわたしは最初から足りている人間のわけです。どんな方法でも別に構わない。自分の足るは実現してみせる。そういうことで自分がどれほどの人間か自分で自分を心得る、そしてそれを実現する。これがわたしの意味する自分の足るを知るということです。自分のことはなんでも自分で決めたいのです、わたしは。


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