死生観と金使いの関係

2021年07月31日
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株式投資
先日那須に古い友人が遊びにきてくれて、それこそ古い同僚というか先輩の方々の消息を聞くに及んだんですけどけっこういろんな人が死んでいます。この年になると死というのはすでに身近な話題です。ましてや病気なんて誰でも持っていると言っていいわけで、わたしだってかみさんだってブログには書いてないですけど人並みに死を意識する経験はしているわけです。わたしの友人知人でも大きな病気をしている人はけっこういます。そこで各人がその人なりの死生観を持つわけです。せいぜい元気で遊べるのは5年かなと思う人もいる、10年かなと思う人もいる。わたしみたいにあと30年40年と元気で今のような暮らしをするつもりの人間もいる。でも自分の寿命を意識せざるを得ないイベントというのは誰にでも起こることは間違いない。そこで今の暮らしをどうしようかと考えざるをえない。

ベトナムさんがふらりと大阪から札幌に飛んで、すし善でお会計が10万円だと言う。とても今のわたしの金銭感覚ではあり得ない出費です。なぜかと言うとわたしは一人前1万円の鮨も三万円の鮨もその差がわからない人間なのです。でももし自分があと5年10年しか生きられないかなと思ったら、きっと10万円でも20万円でも払う気がします。金ならあるのです。それは死ぬまでに一度くらい三万円の寿司を食ってみたい。いや食ってわからなくても10回食えばわかるかもしれない。いっそわからなくてもいいじゃないか、自分の金で誰にも迷惑はかけてないのだから。そんな気分になるかもしれないとそれは否定できないわけです。

これから公的な年金が毎月でるようになります。月に10万円ほど出ます。今でも毎月の収入で使いきれないのに、また月10万円増える、なんとか全部使ってやろうかなって気になります。持っている貯金なんか減る見込みはない。その公的年金も今後増えていき、最終的には月30万円なります。今でさえ遊んで暮らせてるのにさらに月に30万円使わないとお金が増えてしまう。そのお金もすでに使いきれないだけある。いったいどうすればいいのかって思います。それは使うだけなら簡単なんです。でもそこに自分の価値観とか美意識も絡んでくる。金があるからとなんでも使いたくない。


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