上質な暮らしって何?

2021年07月25日
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人生の考え方
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前日夕立で雨が降って明け方気温が上がると朝に霧がでます

最近は旅とライフスタイルのブログばかり読んでいます。というかいろいろ調べているとそうなるって感じです。もともとブログ村でもライフスタイルとかでも登録しています。投資の話題も結局ライフスタイルにリンクして書いてますしね。それでライフスタイルについて書いているブログを読んでいるとと、上質というキーワードを全面に出している人がとても多いって気がします。上質な暮らしをしたい、上質なものに囲まれて暮らしたい、上質な食生活、すなわち上質な人間ってことかどうかわかりませんけど、それがブログのテーマになる。そこで考えたわけです、上質って何だろうって? ちと不思議なのは、上質の反対語がわからないのです。普通に考えると「上」の反対は「下」ですから、下質ってことだけどそんな表現しません。上等の反対が下等ってわけにいかない。上流下流や高質低質という関係でもない。上質の反対を粗末とか劣悪とか全然違う言葉を持ってくる考え方もあるけど、ちょっと極端すぎると思います。上質じゃないといきなり劣悪って変です。いろいろ考えてくると、上質という言葉が実は意識している逆のイメージは、低品質低価格て言葉で、その先に大衆的という言葉も意識される。それをあからさまに上流だとか高品質な暮らしって言うと、それこそ表現として嫌味で上質じゃないので、そこで高品質高価格の代わりに上質って言葉を持ってくるとなんだかとても響きが良い。それでみんな使うようになったってとこじゃないかしら? なにせ上流階級はあからさまなものを嫌います。

もしもそうであればわたしなど低品質低価格なものが大好きですから上質な暮らしとはほど遠い。と言ってもそもそも、なにが上質って比較の中から暮らし向きを決めているんじゃなくて、まるでモザイクのように高品質と低品質が混ざった暮らしを自分で好き勝手に決めているって暮らしのわけです。いわゆる成り上がりの暮らしとも言えるのかもしれません。でもそれって罪じゃないでしょう。もともと低品質低価格な貧乏暮らしから始まって、それで自分が好きなもの興味あるものだけお金を気にしないで買ったり使ったりしているって感じかな?だから無垢の一枚板のテーブルの上に平気で安物のワイングラスとか皿を置ける。数百万円の車を平気で百円パーツで補修できる。でも我が家なんかがさつで高いワイングラス買ってもみんな割ってしてしまう。車は走ればいいからみっともなくない程度に直っていれば良い。ただいわゆる上質な暮らし向きを標榜するような人からすると、気に障るって部分はあるんだろうなとは思います。しょせん成り上がり者だと揶揄されるわけです。

ただわたしがこのブログで何度も書いている個人的革命、つまり一人一人がのしあがることで、この世の金持ちの構成比率の中に成り上がり者が増えていく中で、いわゆる価値観のパラダイムシフトが起きるとわたしはもし革命がハプンするならそうなると想定しています。最初は公家というのは武家を馬鹿にしていたわけです。ところが武家が力をつけて影響力が高まるとただ馬鹿にするわけにはいかなくなる。武家には武家の価値観があるわけです。同じように成り上がりものは、ただ育ちが良い人の真似をして、上流階級から気にいられようとするんじゃなくて、むしろ武家が公家から馬鹿にされようが意に介することなくむしろ気持ちを逆撫でするのと同じようなことする。これがわたしは個人的革命の自然な流れだと思っています。多くの自称他称上質上流な人が、嫌みな自慢話だと眉を顰めようが、あるいは上流じゃない人間から妬まれようが、これからのしあがろうと、それも極貧から、あるいは社畜から、そう夢見る人たちのベンチマークでありたいとこれはそういうつもりでわたしはこのブログを書いているわけです。ただこれだけ長年いろいろ書いてきて、けっこうファンが増えたし、いわゆる育ちが良い読者さんもけっこういるようなので、そこはわたしになんかあるのかもしれません。ただ成り上がればなんでもいいってわけじゃなくて、むしろ最初に自分の価値観を形成した。でないと簡単には成り上がれないってことかもしれません。なにせ私は好きに生きていきますよ。ちなみに家族や親友からの評判はわりと良いです。
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