上質な暮らしって何?
2021年07月25日

前日夕立で雨が降って明け方気温が上がると朝に霧がでます
もしもそうであればわたしなど低品質低価格なものが大好きですから上質な暮らしとはほど遠い。と言ってもそもそも、なにが上質って比較の中から暮らし向きを決めているんじゃなくて、まるでモザイクのように高品質と低品質が混ざった暮らしを自分で好き勝手に決めているって暮らしのわけです。いわゆる成り上がりの暮らしとも言えるのかもしれません。でもそれって罪じゃないでしょう。もともと低品質低価格な貧乏暮らしから始まって、それで自分が好きなもの興味あるものだけお金を気にしないで買ったり使ったりしているって感じかな?だから無垢の一枚板のテーブルの上に平気で安物のワイングラスとか皿を置ける。数百万円の車を平気で百円パーツで補修できる。でも我が家なんかがさつで高いワイングラス買ってもみんな割ってしてしまう。車は走ればいいからみっともなくない程度に直っていれば良い。ただいわゆる上質な暮らし向きを標榜するような人からすると、気に障るって部分はあるんだろうなとは思います。しょせん成り上がり者だと揶揄されるわけです。
ただわたしがこのブログで何度も書いている個人的革命、つまり一人一人がのしあがることで、この世の金持ちの構成比率の中に成り上がり者が増えていく中で、いわゆる価値観のパラダイムシフトが起きるとわたしはもし革命がハプンするならそうなると想定しています。最初は公家というのは武家を馬鹿にしていたわけです。ところが武家が力をつけて影響力が高まるとただ馬鹿にするわけにはいかなくなる。武家には武家の価値観があるわけです。同じように成り上がりものは、ただ育ちが良い人の真似をして、上流階級から気にいられようとするんじゃなくて、むしろ武家が公家から馬鹿にされようが意に介することなくむしろ気持ちを逆撫でするのと同じようなことする。これがわたしは個人的革命の自然な流れだと思っています。多くの自称他称上質上流な人が、嫌みな自慢話だと眉を顰めようが、あるいは上流じゃない人間から妬まれようが、これからのしあがろうと、それも極貧から、あるいは社畜から、そう夢見る人たちのベンチマークでありたいとこれはそういうつもりでわたしはこのブログを書いているわけです。ただこれだけ長年いろいろ書いてきて、けっこうファンが増えたし、いわゆる育ちが良い読者さんもけっこういるようなので、そこはわたしになんかあるのかもしれません。ただ成り上がればなんでもいいってわけじゃなくて、むしろ最初に自分の価値観を形成した。でないと簡単には成り上がれないってことかもしれません。なにせ私は好きに生きていきますよ。ちなみに家族や親友からの評判はわりと良いです。
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