なぜ白鵬は批判されるほどになりふり構わぬ相撲を取るのか
2021年07月20日

ゴルフ場の朝の風景
モンゴルから少年白鵬がやってきて日本人ではないということでどれだけ辛い思いをしたか、あるいは差別を感じたか言うまでもない。今でも大鵬よりはるかに多い45回も優勝しているのに国民的ヒーローになどなりようがない。どんなに良い子を演じても演じても軽く批判する連中がいる。横綱を批判するなら死を賭してやってみろなどと時代が違うなら言われるのではないか? それを白鵬に対して上から目線で相撲という物をわかっていないなどと、相撲などやったことがない人間が言い放しでお終いという批判ばかり。優勝を積み重ねるほどに批判はエスカレートする。だんだん白鵬は嫌気がさしてきた。いつでも新しい輩が出てきて訳知り顔で批判する。何もやっても批判される。そうなればもう勝つしかない。勝って勝って勝ちまくるしか自分の存在を認めさせることができない。そう白鵬が思うのは当然ではないだろうか? つまり白鵬を追い込んであれだけ勝利に執着するように仕向けたのが日本の相撲界ではないか?とわたしには思えてならないのである。
もちろんあれだけ優勝しているのだからそれに見合う発言力とか待遇を求める気持ちが出てくるのは人間だったらあるのは当然。勝つほどに傲慢になったと言うならそれはそうかもしれないが、白鵬の全体の振る舞いを報道でとかテレビで見る限り、それほどひどい傲慢ぶりではないと、わたしは思っている。実はわたしは白鵬の優勝パーティに参加したことがある。白鵬を間近で見たけど、係員の指示にしたがって席をまわり挨拶をする姿に傲慢さはわたしは感じなかった。演技かどうかはわからないけど、少なくとも立派な態度にはわたしには見えた。白鵬に反省を求める人間はやまほどいる。そのやまほど白鵬を批判してきた人間は一度でも自分の白鵬に対する発言が本当に彼に寄り添ったアドバイスになっているのかと振り返ったことがあるのだろうか? あるいは白鵬ととことん心を開いて話し合った人間はどれほどいるのだろうか?白鵬もその意味においてバッシングの被害者ではないか?そう思えてならない。
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