人命をコストと考える人たちが戦争を起こす

2021年07月19日
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政治経済

コロナで亡くなっている方々の数はたとえばインフルエンザなどよりずっと少ないのだから、わずか千人万人の命を救うために1億2千万人が経済的な打撃を被るのは非論理的である、と考える人たちがこの日本には少なからずいます。これって戦争を起こす人たちの考え方とダブってわたしには見えます。もちろん戦争とコロナは関係ないってそういう人は言うに決まっています。こちらからダブって見えると言っているだけです。なぜか? 歴史的にも主戦論者と言えど戦争は否定します。決して好戦的ではない。ただ論理的に考えて戦争をすることが国益にかなうという論理を掲げるわけです。その時に人命はコスト(犠牲)とみなされる。戦争をすれば多くの人が死ぬに決まっている。でも戦争をしないでいたら多くの国民の暮らしが大打撃を受ける。戦争をして勝つことで国民全体を救うのだ。その場合の戦死者は致し方のないコストだというわけです。結局この世から戦争というか武力に物を言わそうという考え方はなくなりません。つまり戦争そのものが間違っていると言ったところで、そこに厳然とそういう考え方は存在する。

だから戦争も結局正しかったという理屈にもなる。原爆で一瞬にして多くの一般市民を殺戮しても、東京大空襲で多くの人を焼き殺しても、平和のためにやってよかったとなるわけです。まさに死人に口なしで命を落としたものの無念、そして遺族の悔しさなど国民の快哉と歓呼にかき消されるわけです。それも勝てばの話ですが。それが正しいと言われればそれまでの話ということです。別にそういう考え方がおかしいとか議論する気はしません。歩み寄りのない議論はやる意味がない。ただ言えるのは、そういう人たちの力が強まって行く行かないで国の進む方向が変わってくるということです。つまり戦争でもなんでもそれが起こるずっと以前からなるべく方向は決まってしまうということです。さて今の日本は人命をコストを考える人たちの力は強まっているのでしょうか?それとも弱まっているのでしょうか? 別の質問をしてみましょう。たとえば50年前に国民全体として「絶対に戦争はやってはいけない」という考えのパワーが100だったとします。50年後の今は100がいくつになったと思われますか?こういう見方を平時からしていかないと、国としてなんであんなことしたんだろう、というテイタラクになる。そんな気がします。
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トール  

指定感染症レベル

新型コロナで死んでいる人が少ない、という事実はそもそも今の指定感染症2類相当をインフルエンザ相当のレベルまで下げる検討が公の場で必要です。
(専門家会議の役目でしょう)

未知のものではありますが、すでに2回目の夏を迎え、これまでの経験から厚労省を含めた官僚が独自の判断をしてもよいですが思考停止状態なので業界の団体、国民に押し付けますねぇ。笑い


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