人命をコストと考える人たちが戦争を起こす
2021年07月19日
だから戦争も結局正しかったという理屈にもなる。原爆で一瞬にして多くの一般市民を殺戮しても、東京大空襲で多くの人を焼き殺しても、平和のためにやってよかったとなるわけです。まさに死人に口なしで命を落としたものの無念、そして遺族の悔しさなど国民の快哉と歓呼にかき消されるわけです。それも勝てばの話ですが。それが正しいと言われればそれまでの話ということです。別にそういう考え方がおかしいとか議論する気はしません。歩み寄りのない議論はやる意味がない。ただ言えるのは、そういう人たちの力が強まって行く行かないで国の進む方向が変わってくるということです。つまり戦争でもなんでもそれが起こるずっと以前からなるべく方向は決まってしまうということです。さて今の日本は人命をコストを考える人たちの力は強まっているのでしょうか?それとも弱まっているのでしょうか? 別の質問をしてみましょう。たとえば50年前に国民全体として「絶対に戦争はやってはいけない」という考えのパワーが100だったとします。50年後の今は100がいくつになったと思われますか?こういう見方を平時からしていかないと、国としてなんであんなことしたんだろう、というテイタラクになる。そんな気がします。
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