サラリーマンの運命をわける転職事情あれこれ

2021年07月11日
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株式投資
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リゾマンの管理組合の総会があって理事になりました
総会後外は意外と人出も多いので
自室で雨を見ての午後のひと時です。

最初の会社の2年先輩のみーさん、子会社に転じたけど役員にまで登ったので成功したサラリーマンだと思うけど、昔話でいろいろ話すと複雑な心境が伺えて懐かしく当時を思い起こす良き一夜になりました。その先輩はハルトモのせいで転職をする機会を失ったと言う。自分はハルトモとかその先輩のさんちゃんとか、当時会社では元気がよかった人間と一緒に仕事をするのを楽しみに転勤願いを出して大阪にやってきた。ところが同時にハルトモは東京への転勤願いを出していてそれが通ったんである。さんちゃんも同じ。せっかく大阪に来たのにさんちゃんもハルトモもいなくなって、一方で仕事の負荷がぐっとみーさんに高まって辞めるどころの話ではなくなった、というわけである。わたしも長いことサラリーマンをやってきたんで、こういう律儀な人間に組織は支えられていて、言うなら組織の力学と人間関係の中でスパッと割り切れない人がたくさんいることを知っています。みんないい人たちです。それだけにその良き性質を会社が利用することにわたしは忸怩たる思いがあります。経営者が考えなければいけない問題を現場のサラリーマンが自己犠牲を持って支えているのが言うなら日本的な企業風土のわけです。

わたしは会社というものはそれほど個人に優しくもないわけで組織に義理立てすることはないという考え方ですが、良い人ほどそこが割り切れない。部下だ後輩だ取引先だといろいろ考えると勝手に辞めて迷惑をかけたくないって気持ちになるわけです。実際のところそれは思い込みというか考えすぎで、いなきゃいないでどうにでもなるんですけど、そこがそうは思えない良い人ということです。わたしの場合は東京に転勤して僅か三ヶ月で退職した。退職するために転勤願いを出したのです。でないと大阪では採用活動ができなかった。それと本社を見て会社というものをもう一度判断したいとも思った。いる価値があるかないか? で本社ではすぐに結論が出た。やはりわたしはこの会社にいてもろくなことはないと。古い日本的な体質で実績よりも根回しと気遣いで出世する会社だったのです。それと将来性はないという判断をしました。わたしが存分に暴れる舞台ではないと。

しかし人間の運というのは不思議なものでわたしが転職した32歳の1990年はもうじきバブルの終焉というタイミング、わたしが転職してすぐに中途採用はほとんどできなくなりました。ぐっと景気が冷え込んだ。もしわたしがぐずぐずしていたら転職のタイミングを失っていたでしょう。それで次の機会は10年後くらい。でもそこまでいたらわたしは40歳を超えて会社でも中間管理職になってしまいます。そうなったらまったく新しい業界への転職などできなかったと思います。今にして思えば一番良いタイミングで転職した。ついていたとしか言えませんが、あえて言うならわたしは決断が早かった。スパッと決めた。

では転職しなかったみーさんは運がないのか?簡単にそうとは言えないのがまたサラリーマン人生の綾というものです。けっきょくみーさんはどこにも転職しなくて成功したわけです。みーさんにはその会社が合っていたのです。わたしは合っていなかった、それだけのことです。仮に少し差があるとしたら、わたしには納得があるけど、みーさんには多少の後悔というか、自分も転職したらどうなっていたのかな? 嫌なおべっかせずにすんだんじゃないか?って気分が抜けきれないということです。でもそれもこの年になって言ったところでどうにもなりません。良かったと思うしかないし、実際そこそこ幸せに暮らせているんですから。そういうサラリーマンてきっと多いんじゃないでしょうか?あの時ああしていれば、どうなったんだろうなって思う人生。でも今はそこそこ幸せ。みーさんは俺もこんなリゾートマンションが欲しいなって言ってました。わたしはみなさんそう言われるけど買った人はいませんねえと答えます。誰でも思うことでもいざ実現となると限られた人間にしかできないもんなんでしょうね。


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