もしも自分の子供の彼氏(彼女)がまともに箸を持てなかったらどうします?

2021年07月02日
0
人生の考え方
16251385830.jpeg

16251385650.jpeg
那須の牧場直営のレストランでランチ
わたしはハンバーグ、かみさんはカレーでした

シドニーポワチエと言えば夜の大捜査線という映画があります。たくさん賞も取っている良いサスペンス映画でした。シドニーポワチエは黒人の映画俳優の評価が低く知的な役柄が与えられなかった時代に知的黒人の代表格として活躍したわけですが、そのキャラクターは黒人でありながら完璧なアクセントの英語を話しマナーをわきまえてそして十分な知性を持ち、言うなら肌が黒いという以外は完璧な白人というキャラでした。そのシドニーポワチエ主演の「招かれざる客」という映画があります。白人の家庭、自分の娘が婚約者だか恋人だかを自宅でのディナーに招待すると言う。それで現れた恋人がシドニーポワチエ。娘さんの親御さんは激しい拒否反応を示します。ところがそこからいろいろ話したり経歴を聞いたりしていく中で、ポワチエが白人以上に白人であると認めざるを得なくなり、最後まともな黒人もいるんだと納得してポワチエを受け入れるという映画です。

わたしがその映画を見て感じたのは白人が気にいるような白人らしい黒人は受け入れるけど、もしも言葉が少し訛っていたりあるいはテーブルマナーを弁えていない部分があったりしたら、ポワチエは決して受け入れられなかったんだろうなと言うことです。どんなに気持ちが優しくて恋人を愛し大切にする気持ちがあっても、下品な黒人であるなら受け入れられない。人間の価値というのはなんだろう?などと若きわたしは考えたものです。日本では人種の差別というものはありませんけど、やはり育った環境でクラスの差というのを意識している人たちがたくさんいます。児童養護施設の子どもが友達の家に遊びに行く。そこで親御さんとも会う。その親御さんが自分の子どもにあの施設の子とは一緒に遊ぶなと自分の子供の言う、などというケースはやまほどあります。親御さんから見て施設の子供のちょっとした食事とか挨拶のマナーが許せないと感じた結果です。

わたしは自分のブログでも正直に書いていますが、50歳をすぎてまともに箸が持てませんでした。言い訳ですけど知らなかった。それが児童養護施設で働き出してそれで思い立って箸の持ち方を練習しました。まあ数ヶ月もすればまともに箸が持てるようになりました。そこで改めて思いました。数ヶ月でできるようになることができないことを理由に人を断じて決めつける人がこの世にはどれほど多いのかと。箸の使い方の練習をしている数ヶ月の間に、カミさんのお母さんと話す機会があって聞いてみました。わたしが箸をうまく持てないことわかりましたかって? そしたらすぐにわかったそうです。それで大丈夫でしたか?と聞いたら、少しは気になったけど生い立ちも聞いたし驚かなかった。それより自分の娘を大切してくれる優しい気持ちが伝わってきたので心配はしなかったと言ってくれました。かみさんの家はそんな躾マナーにこだわる家じゃなかったのでそれが幸いした部分もあったんでしょうけど、かみさんのご両親の人をみる優しい目があったおかげで幸せな家庭人としての今のわたしがあります。

わたしはカミさんのお父さんお母さんを自分の親以上に大切にしたいという気持ちがありそれを実践してきました。静岡のお墓は今はありますがそこは閉じて、わたしはカミさんの家のお墓に入ることにして墓代は我が家から出しました。男の子がいないかみさんの家でしたのでとても喜んでもらえましたが正直人に恵まれたと思います。4年間の児童養護施設勤務で改めて人の心はわたしが子供だった50年前とさほど変わっていないのだなと思い知りました。気になる人は気になるのです。でもそういう方々はそれなりの人生観を持ってそれなりに幸せに暮らしておられるのですし仮に施設の子どもに(わたしのような人間)嫌悪感を感じるにしてもそれは環境のなせるわざでごく当たり前のことだと言えるんだろうなって思います。その人たちに責任はありません。その世界では優しくて人間らしく生きている人たちなんです。無理しておつきあいをするのはきっとお互いのためにならないのでしょう。わたしについて言うとそういう場合は自分から身を引いて距離を取るようにしています。わたしなんかに心乱すのは馬鹿馬鹿しいことです。そもそも今のわたしは幸せな家庭があって多くの友人や遊び相手もいてそれで十分です。これ以上望んだらバチが当たります。わたしはシドニーポワチエになどなれないしなりたくもないのです。
関連記事

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿

更新順
同カテゴリ