中途半端な好意善意はしばしば恐ろしい
2021年06月14日

実は土曜日は娘がかみさんと一緒にですが
コリアン料理を作ってくれました
これ以外にズンドゥチゲも
日経新聞にアジアンダイニングの特集でレシピが載っていて
なんか作ろうかなと二人で話していたので
楽しみにしています
わたしの場合、株式投資はこれこそが正しいとか言わないし、人に向かってああしろこうしろなんて言わないし、もちろんこうやれば儲かるみたいなことも言いません。買った株も書かないしおすすめ銘柄とかで人に紹介もしません。投資というのは人それぞれですのでブログで具体的に書くことは両刃の剣のわけです。影響受けて儲かる人もいる一方で損する人もいる。儲かった人はありがとうございますと礼を言うけど損した人の声は聞きたくない。喜んでいる人だけ相手にして、損した人は自己責任と突き放せる人はそれでいいのでしょうけど、わたしはそういうのが好きじゃない。
わたしのブログを楽しく読んでくれる人が大多数なんですけど、たまに批判を受けることもあります。ここで書いている内容は作り話だろうという批判ですね。まあ嘘だと思うならそう勝手にお思いになればいいのです。そもそも事実を書く義務はない。それでわたしの嘘を読んでなにか迷惑がかかるんでしょうかね? 自分のことを勝手に書くだけなら嘘だっていいじゃないですか? 誰にも迷惑かけてないんだから。創作と思えばよろしい。存在そのものが気に食わないという考え方は穏やかじゃないしまともじゃないです。ただネットの世界の誹謗中傷はほとんどよく知りもしない相手の存在を否定するという歪んだ正義感からきていると思います。
わたしはブログで人の役に立ちたいとか思ってないです。誰かに具体的なアドバイスをする気もないです。ただ読んで笑ってくれればいいのです。たまにわたしにアドバイスを求めてくる人がいるんですけど、まずもって滅多ことでは何も言いません。いくら作家の作品が面白いからと言って作家に手紙を書いて人生相談するもんじゃないでしょう。わたしはできもしないことをやりたくありません。むしろ害悪をなすことを恐れる。自分でお読みになってそれで好きになされたらよろしい。言いたいことは全部書いてあります。
わたしがこのような考えかたになった理由はたぶん生い立ちにも関連しています。遠い親戚とかあるいは学校の先生とか児童相談所の職員とか養護施設の先生とか、みんなわたしに親切で好意的だったんですが、その好意の渦が強圧的になって、いたいけな子どもの心を痛め蹂躙する。これはわたしだけじゃないです。今現在も児童福祉の世界で行われていることです。その子どもには一番良いのだと大人たちが考える。でもそれはしばしば大人の視点から見たものでしかないのです。
最近チョコレートドーナツという映画をAmazonでみました。(ネタバレ注意)LGBTの人が育児放棄されたダウン症の子どもを引き取って育てようとするけど、関わり合う地域コミュニティ、裁判官、検事、警察、みなその子をLGBTから引き離して麻薬中毒ですさんだ生活をしている母親の元に返そうとする。子供はお母さんと暮らしたくないと言っているのに、皆優しく声をかける。みんなが君のことを心配してるんだよ。お母さんの元が一番人間は幸せなんだよと。裁判では仮釈放の餌にされ更生を誓う母親の元に、その子は戻るけど、結局更生なんかできっこない。おかしな薬漬けの男が家に出入りする。あげくに性行為するから出てけと家から追い出され、その子は数日街を徘徊して最後命を落とす。
そう言う映画です。関係した人たちに最後手紙が送られます。その子が死んだと知らせる手紙です。誰もが無表情に手紙を閉じるというラスト。彼らは自分たちの仕事をしただけなのです。中途半端な人間の好意というのはまことに恐ろしいものです。わたしは中途半端にやるくらいなら何もしません。害悪をもたらす可能性の方が高い。やるなら全身全霊をかけてやる。それが児童養護施設での奮闘でもありました。真面目にやろうとしたら並大抵の覚悟じゃすまない。ネットで親切そうに株のアドバイスなんてわたしにとってはとんでもない行為です。まあ好意というのは実は表向きで金儲けあるいは小遣い稼ぎが目的であればそれはまた別の話です。そういう方もたくさんいるとは思いますしそれに対しては今日のところ特段感想はないです。
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