お金があると同じことをしていても気分がだいぶ違う、、なら

2021年06月09日
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株式投資
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バンカー好きです
人生もゴルフもハザードがあるから楽しい

お金がもっとあれば、こんなことしたいなあ、こんなもの買いたいなあっていろいろ想像する人もいると思います。お金は使ってこそ意味があるとも言います。まあその通りでお金は使うためにあるし暮らしを豊かにする道具のわけですけど、ただ使えば使うほど生活していく上での満足感が上がるわけじゃないってことはお金にゆとりができるとたぶんわかると思います。金があるんだからもっと使えばいいのにとか簡単に言う人は、なったことがないからきっとわからないのです。お金は使って意味がある面もあるし持っている意味も同じくあります。お金があればいつ気分が変わって、明日高級車が欲しくなってもすぐ買える。あるいは世界一周に行きたくなってもすぐにいける。制約がない。ただ今はそういう気分じゃないというだけ。この制約がないというのがとても大きいわけです。

もちろん今の生活も別に制約を受けているわけじゃなく自分で選択した結果というだけで、倹約したら惨めな気持ちになるわけでもありません。一方で貧しさというのは、生活そのものの質素さよりも制約の多さが大変窮屈に感じるところから来るものです。したいことが自由にできない。金があれば高い車が買えるのに金がないから小さい車だとなる。つまり同じことをしていても金があると気分がだいぶ違うということです。この気分の違いが生きていく上でのゆとりということになります。よくお金なんか残しても仕方ないっていう人もいますけど、実際残して死ぬのがお金もちにとって普通です。すごろくじゃないんだからそんなぴったり終われるわけじゃないし、幸せな人にはお金を残したいと思うような人も存在する。つまり極端な話じゃなくて現実は、好きに使ってその上である程度は残すという中庸的な結論になるものなんです。

さてここまではわたしにすると当たり前の話なんですけど、ここから一歩進めて考えてみたいのはお金があるないとで同じことをしていても気分が違うのであれば、これは自分の心のあり方の話になるわけですから、お金が仮になくてもまたはあってもそれに影響をさほど受けず気分良く暮らす方法があるんじゃないかということです。お金がいくらあってもそれに飽き足らずもっと欲しがる人もたくさんいる。それもたぶん心の問題。ではお金がそんなになくても満ち足りていると制約を感じずに生きればいいじゃないかと、わたしはこれにけっこう若い頃気づいたわけです。お金が全然ないとさすがに窮屈だけど、あればあれほど幸せなわけではない。お金のせいで自分が窮屈さを感じたりあるいはお金に翻弄されることこそ馬鹿馬鹿しいこと。そこで自分の足るというのを真剣に考える。いったい自分はどんな暮らしをしたいのか? わたしの場合は結論はこのブログに書いてあります。ここに書いてあるわたしの暮らしむきこそわたしがなんの制約も感じないゆとりある暮らしということです。なんとなくこうなったってわけじゃないのです。

株ブログなんか読んでいると、儲けたい儲けたいという話ばかりで儲けた後のことまで考えてる人はほとんどいない気がします。つまりゴールに対して曖昧なイメージしかないわけです。儲けている人のブログを読んでもさてこれからどうしようかなという感じでわたしみたいにずっと前から見えていたのとはだいぶ趣が違う。わたしには口座残高眺めて悦に入る趣味はありません。10年も前に出世を捨てて会社を辞め児童養護施設に行けたのは、すでに自分の足るをわたしはわきまえていたからです。儲けるだけ儲けてから、さてどうするじゃ人生無駄に時間が過ぎていくとわたしは思っています。もっとも儲からない人にはどうでももいい話なのかもしれません。取らぬ狸のなんとやら。ただ言えるのはゴールは曖昧でなく明確なほうがたぶん実現する可能性は高まるんじゃないかなということ。わたしは自分の経験からそう感じています。

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