なぜ競輪の経験が株式投資で生きたのか?
2021年05月31日
わたしは相場師なんてだいそれたものになる気はハナからなかった。一生食うに困らないだけ稼げればゲーム終了というノリである。戦いを求め戦いに明け暮れるのが本物の相場師なんでしょう。株式投資は何かの手段ではなく、それ自体が目的であり生きがいである。一方わたしにとっては株式投資は経済的自由を得るため、そして幸せな暮らしを実現するための道具だったわけです。その意味でも株式投資じゃなくて競輪でも良かったのですが、のめり込めばのめめり込むほど競輪では家族を養い家を建てるなどかなわないと知る。やさぐれギャンブラーとして一人で一生生きるだけならなんとかなったかもしれない。旅打ちして回る風来坊なんて生き方も視野になくはなかったけど、でも子どもの頃からのいわゆる普通の家庭への憧れはそれ以上に強かった。それで競輪をスパッと辞めて会社も辞めて外資系企業に転職した。一発当てられそうな夢を感じたからである。その後の話はながくなるけど外資系企業での大暴れとそれから株式投資であわせて一本という結果になったんだけど、わたしがこここでいくら競輪と株式投資の関連性を書いてもほとんどの人が理解できないと思います。競輪と株式投資と、どっちかしかわからない人にもわかりやすく書けるのはたぶん日本でわたししかいないと思うので書く価値はありそうな気がします。
1、ゲームの本質を知った(己の分をわきまえるということと)
わたしが競輪を始めた時は電話投票もネット投票もありませんでした。競輪場に集まる5千人とか一万人が車券を買い、その売り上げの75%が配当に回される。つまり車券を的中させて配当を受け取るということは、つい先程までとなりでゴール前で叫んだあげくがっかりとした親父の金が競輪場を通じて、こちらにやってくるとういうこと。このダイレクト感は株式投資ではなかなか感じられないので株はそうじゃないって思っている人がやたら多いけど、わたしは株式投資も本質は同じだと思っています。競輪場ではみんなで儲けましょうなんて仲間意識なんか絶対存在しません。ゲームの本質がそれを許さないのです。(ほんの少数でするなら別ですが) 自分が手にしたお金には誰かの悔し涙がついているお金だと思えば、無制限に稼ごうなどは趣味で殺戮を繰り返すハンターと同じ所業で、業の深さを感じる。自然と己の分を知らねばと考えるようになりました。
2、儲けることと当てることは全く意味が違うと知った(資金管理と)
競輪で勝ち切ろうとしたら、徹底した資金管理が求められます。株式投資の資金管理と比べてその難易度は比較になりません。株の方が金額が大きいのですが、厳しさは競輪の方が数段上。だってレースが終わった瞬間に紙切れになるんです。ハズレ車検は空に舞うのです。儲けてこその競輪で。当たればいいならたくさん買えばすむこと。でもいろいろ買って当たるなど勝負としてはなんの意味もないことを知らないといけない。儲けるという意味では当たってろくに儲からないものなど当てる意味はないのです。競馬競輪を趣味でやっている人は別です。当たれば嬉しいし、当たったお金でまた次のレースが買える。それで良い人はそれでいいのですけど、競輪で儲けようと思ったらそんな甘い考えでやってられません。
3、理屈にこだわりきったその先に本物の勘は降臨する
競輪でも勘は大事です。ですが理屈が甘いと本物の勘は降りてきません。理屈を追い求めて追い求めて、もうこの先に理屈はない、その上での勘です。勘とは何か? 勘で車券は思いつきません。今まで3−2,3−5、3ー6だと検討していたのが勘で1−2、1−5だとはなりません。それはただの思いつき。わたしが経験した勘というのは、ここは勝負だ! いや勝負じゃないって勘なのです。これは経験した人間でないとわからないと思います。まるで未来が走馬灯のように垣間見れる時があるのです。株式投資においてもここは勝負だってところでどれだけ儲け切るかで結果が大きく違ってくる。わたしはボッシュという銘柄でいわゆる勘が降臨するまで待った気がしました。ですから迷いがなく腹が据わった。それだけの理屈は尽くしたという確信。これは競輪と同質のものでした。
4、自分のスタイルにこだわるというメンタル
競輪の場合は当たり前ですけど、塩漬けなんてできないわけです。どんなに辛くても負け続けても、また競輪場に行って車券を買わないと当たり車券を手にすることはできません。まず外れ続けても続けるメンタルって株の比じゃありません。加えて自分のスタイルを守るのがしんどい。当たり車券が欲しくていろんなものを手をだしたくなるけど、それをやってはいかんのです。株もわたしは同じスタイルです。それでチャンスを逃したと言えばそうかもしれませんけど、取れるものだけきちんと取ればいいし、逆に取るべきものを取らないと先はないと思っています。
5、買わずにずっと見ていられる耐性
株って買って翌日に会社が倒産するって話はあんまりないわけです。買って下がってもまた上がるとかあるわけです。競輪は買って外れたらそれで終わり。だから迂闊には勝負に出れない。上の話とも繋がっていますけど、自分の確信できる時だけ勝負するって姿勢はわたしの場合競輪で養われたわけです。ただ競輪の場合買わないレースでもちゃんとレースを見ていないといけません。買わないレースでも次の勝負へのヒントが詰まっています。だからずっと見ているのが当たり前なんです。株も同じでずっと見ている。だからこそここだというチャンスを掴めるんだと思っています。株は買って見ている人はいくらでもいるけど買わずに見ている人なかなかいませんね。それをわたしはやるんです。変な日本語ですけどやらないをやる。つまり意思を込めたやらないのわけです。
まあ他にもたくさんありそうです。気が向いたらまた書きますけど、少なくとも言えるのは競輪をやっただけで株で勝てるってことじゃないってことです。競輪の方が株より難しいので、競輪で勝ち切れるくらいなら株でもチャンスはあるんじゃないですかって話ですけど、そんな人いないでしょ?いたら株をオススメしますよ。自分で勝手にやってみてください。
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