何もしない贅沢より、何もする必要のない贅沢

2021年05月25日
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日々の雑感ーリタイアライフ
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黒磯に新築でオープンした那須塩原市立図書館
わたしはバイト先もリゾマンも那須町だけど
利用登録させてもらっています
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ゆったりとしたスペースで
さいたまとは大違いです
それととてもおしゃれで
中にカフェもあります
知られたお店が入ってます
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本当にひろびろとしています

那須とさいたまの二重生活なんですけど、何をするにも那須はゆったりとまったりと広々しています。この図書館はフリーWIFIも完備しています。さいたまのCAFEよりずっとゆっくりとできます。もちろん那須にも良いカフェがいくつもありますけど、これもそのひとつという位置付けです。図書館だけじゃなくてスポーツジムとか、多目的な施設とか、那須界隈は充実しています。何よりも人が少ない。もっとも日中だけです。夕方になると通勤客とか学生とかたくさんやってきます。つまりさいたまみたいな都市圏で見られる、暇した年寄りがあまりいないってことです。年寄りはまだ働いているのかあるいは野良仕事でもしているのでしょうか。

現役時代は、リゾートなんかに行って、ホテルでゆっくりしてそれこそ何もしない贅沢だなんて洒落込んでいたのですけど、結局帰ればやることは山ほどあって仕事をしないことには生活が成り立っていなかったわけで、それは本当の贅沢じゃないだろうって今は思います、何もする必要のない贅沢とでも言いましょうか? もちろん自発的にいくらでも遊べるけど、義務的になにかやらねばならないってことはほとんどないわけです。それでやることだって楽しいことだけで嫌なことなどひとつもやりません。

一方でこの世には何もできない貧乏という人たちもたくさんいるわけです。それも老齢になって没落してしまう人もいる。そこまで悲惨でなくても、暇は暇だけど金はないので図書館とかジムとかあるいは散歩という人もたくさんいる。これも何もしないの亜流でしょう。リゾートホテルにいたって散歩やジョグくらいするんですから。わたしみたいにブログを書いているってのもこれは何かしているうちに入らないと思います。わたしくらいになると、ただぼんやりとしているけど、なんとなく指が動いてこんな記事が出来上がるんです。

よく毎日毎日書くことがあるなって言われるんですけど、他のブログを読んでいるとわたしと根本から書く立ち位置が違うなって思います。まあ日記的な時系列部分はそんな変わらないけど日記だけじゃ続かないんですね。それで自分の意見とか自分の主張とかを、あるいは調べてなにかの情報とか、書くって人がほとんど。わたしは違う。わたしはライターなんです。ハルトモという主人公にいろんな役回りを与えて好きなことを言わせているわけです。別にこれぞわたしの意見てのを書いているわけじゃない。読者の多くは作者であるわたしとハルトモの区別がつきませんが、実際嘘は書かないでもかなり別の人格を作れます。もちろんフィクションじゃないのでないまぜになっていますけど、でも書いている内容はわたしが選んでいるから微妙に操作される。そこが読み物だって私が言う由縁です。

わざと憎憎しく書いてやったりすると読んで怒る人とかいる。もちろん笑う人もいる。それがわたしの術なんです。今日はどうやって読者をからかってやろうとか、笑わせてやろうとか、ちときつい洒落でも飛ばしておくかとか、そうやって遊んでいるわけです。だからやることに際限がない。実は内容はあまり重要じゃないのです。言っていることなんて根っこはあまり変わらない。古典落語のように同じネタでも飽きさせずに巧みな言い回しで、読者を頷かせる、唸らせる、呆れさせる、また次読みたくなる。それだけのことなんです。もっとも私自身が小説の主人公のように生きたいって思ってますので実際の人生もかなりドラマチックなんですけど、いわゆる微妙に違うドラマをブログで書いているということです。そういうことで誰かから書けって言われてこんな文章は到底書けないわけで、書く必要のないブログを書く贅沢を満喫しているということです。
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