意図を含むと思われる数字とはなるべく距離をとる

2021年03月24日
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株式投資
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スノーシーズンからグリーンシーズンへ
だいぶコースも色づいてきました
もちろんグリーンのほうが種目が多い
ゴルフ、ハイキング、サイクリング、
バイト前に軽くハーフを回ったら38でした
今年は期待できるかも



とにかく生活していく上で数字は切り離せないわけです。家計の数値もあれば、健康診断の数値もある。投資していれば資産の上下に神経を尖らせる人も多い。新聞を広げればいろんな数値が書かれている。その中ではっきりと間違っていない数字もあれば、わたしが期待している精度になっておらず、書いた側発表した側の意図が色濃く反映される数字もある。わたしはもう面倒だから後者とは距離を取りたいと感じています。実際あまり気にしなくなっています。別に疑っているというわけじゃないです。いちいち詮索するのが面倒なんです。

例えばコロナの感染者数はコロナの蔓延状況の数字になってますけど、わたしは死者数は信用できる数字だと感じています。死んだ人間の数の嘘はつかないと思うのと、死んでる生きてるてのは、これはパットが入る入らないと同じで紛れがないわけです。当たり前ですけどコロナが蔓延すれば死者は増える収束すれば死者は減る。(治療体制とか薬も含めて) スペイン風だって結局死者数くらいしか我々は思い返さない。スペイン風の感染者の記録ってあるのかしら? 一方感染者数というのは国ごとに検査の基準値とか違うし、同じ国でもずいぶんと基準値を変えているらしい。日本だって変えてるんじゃないかしら? そうなれば同じグラフではなくなってしまうのに、平気で今日の感染者数って発表される。

別にコロナの話をしたいわけじゃないのです。発電コストとかって話は学校でもずいぶんと習ったけど、原発ってのは火力発電に比べたら安いって教わりましたけど、その計算方法はよくわからない。稼働していない原発とか廃炉にする原発の建設費も全部いれないとコストにならないはずだし、住民への対策とか、いわゆる社会コストなんか簡単に計算できっことない。だいたいダムを作っても道路を作ってもどんどん建設費は上がっていく。なぜかと言うと、官僚になるべく安く見積もれと指示したか、あるいは官僚が忖度したか、だからです。絶対この額は超えないって数字を出せと言われたら出せると思うのでけど、それを出すと、やーめたって話になるから出さない。作ると決めている側から作った数字ってことです。

この国は平気で公文書だって書き換える国なんですから、どうにだって数字はいじられてしまう。だからいじられない数字だけ見て暮らせないかなとかわたしは思うわけです。数字が怖いのはいじるという定義で、自分に都合のいいとこだけ切り取って出してくるのは、いじったと思わない人が多い。実際意図が入った以上はそれはいじられた数字のわけです。見る人間は区別できないわけですから。数字と完全に決別するのは無理だけど、そうやって数字を峻別していくことかなと思います。比較的信頼できそうな数字というのはけっこうあるわけです。いわゆるごまかしにくい数字ということです。

ところでいきなり下世話な話ですけど、競輪というのは生涯を通じて勝てる人は1000人に一人くらいしかいない。これもよくわからない、100人に一人かもしれない。ところが競輪場でインタビューすると、半分くらいの人が生涯でトントンだって答えるって話があって、面白いなと思った記憶があります。運転免許の書き換えに来た人にインタビューしたら、日本人の70%は運転が下手だという答えがあって、その一方で自分の運転技術は下手ではないと答える人が70%いるって、話をこれも耳にしたことがあります。株ブログだって株の話だけ読んでいたら、本当かどうかわからない。うまく行ったことをハイライトしてるかもしれない。でも暮らし向きをみることができれば、誰が豊かかよくわかるでしょう。だから暮らし向きを書いている株ブログは信用できるとわたしは思います。ごまかしずらいでしょ。わたしが那須で暮らしているのは嘘だと思いますか? それともハーフ38は嘘か? 確かに甘いOKパットがある。一人だと短いパット真剣にやる気はしないのです。でも48を38とは言わないわけで、これは世の中でみるとダムの建設費が倍になるとかあるんですから、かなり良心的な方でしょうね。


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