良い思い出ばかりの楽しいサラリーマン生活だった

2021年03月18日
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サラリーマンライフ
サラリーマン時代を振り返って思うのは、よくあれだけ言いたい放題言ってやりたい放題やって、それで幸せなサラリーマンを全うできたなってことです。それなりの規模の会社で製造業なんだから一人で売ってくるわけにはいかない。まあわたしのやり方を上も下も認めてくれたわけで、それで結果もついてきたけど、結果がでればそのまま偉くなるって単純な組織じゃないし、それで勝手気ままでも偉くなったっていうのは、わたしにはなにかがあったんだろうなあとは思います。案外ブログの読者さんのほうがわかるかもしれないですね。こんなブログみたいにいいたい放題言っていたんですけど、このブログも好きな人は喜んで読むんです。

たぶんわたしに好感を持っているわけでもないしそれほど共感するわけでもないし、あと聞いたことのないような論陣を張るから、変だなとか思う人が多いハズ。じゃあなんだ?言うなら話が面白い? 確かに人を惹きつけて笑わせる力はあったとは思います。どんな辛辣な主張でも笑いに包んでほがらかに話す。もちろん不愉快になる人もいるんだけど、次の機会にはその人をまたちゃんと笑わせたりする。社内でお客でも英語でも日本語でもわたしが話すとみんな笑うんです。それで出世したかどうかは知りませんけどね。

わたしは45歳の時からブログを書いていて、実はサラリーマン処世術みたいな記事とかもたくさん書いていたんですけど、移転のドタバタで消えてしまったものがたくさんあります。一方でリタイアしてからブログを書き出すって人、けっこうおられますね。別にリタイアする前でも後でもいいのですけど、どうもあまり会社ではうまくやれなかったなって感じる人のブログって、共通点があると思います。読んでて面白くないのです。妬みとかつらみとか書いていたら最悪なんですけど、なんか普通の記事でもほがらかじゃない。笑いとか愛嬌がない。

自分は歯に衣着せぬとか、言うべきことを言ったとか、それで上から干されたとか、そういうことを出世しない負け惜しみみたいに言う人がよくいます。自分が言った内容が正しすぎたと思う人が多い気がしますけど、実は違うんじゃないかなって思います。内容じゃなくて、言い方なんじゃないかしら?言葉で誤魔化すって意味じゃないですよ。エンタテナーじゃないんですよね。聞いてる人間をワクワクさせないと。相手を笑わせるためにはその人の立場にたって考えないと笑ってもらえないわけです。それで自分のペースに引きこんで自分のいいたいことを面白さの上に乗せていくというイメージが欲しいです。

世の中正しいことを言えばいいってもんじゃないと思います。そんな正しさなんて知れてるし世の中正しいことはひとつじゃないんです。ブログだって同じじゃないかなって気がします。我こそは正しいと言わんばかりなブログは気持ち悪い。正しいことが人を動かし共感を呼ぶわけじゃないんです。ハルトモの言うことは面白い、ひとつ賭けてやろうかって人がけっこういたから、なんだかんだで勝手な振る舞いも通ったんじゃないかなって今は思います。
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