世の中は不公平ですが、だからなんですか?
2021年03月12日
公平という意味からして一人一人違っているけど、経済的な意味合いで言うならみんなが同じになるわけはありません。わたしの印象なんで統計はないけど、歳がいってから、世の中不公平だ、とか言っている人間は、言うならそこそこの家庭に育った人で、それでそれなりの学校に行ってまあまあの仕事を得た人が多いって気がしています。つまり世の中不公平だ、なんて身につまされることなく大人になった人たちです。わたしなんかは子どもの頃から世の中はとんでもなく不公平だと、それは身にしみて知らされた人間で、不公平なのは当たり前。だからそこからどうするか?って考えながら生きてきたわけです。いい年した大人になって、世の中不公平だ、なんて言っている人を見ると、今頃何を言ってんだ、ってわたしなど思ってしまうのです。
ずるいことをする人たちがいない社会が公平な社会って意味合いに使う人もいますけど、ずるい人間がいないなんてありえないわけです。いつでもどこでもいますよ。ずるい人は。それも上に行けば行くほど。加えてうまくやれてない人間はうまくやっている人間をずるいと思う傾向もある。誰が見たってずるいという行為はそれは詐欺とかインサイダー取引みたいに犯罪になるわけですからそれは別問題。時々政治家が理念として、公平な社会とか言うけど、実現なんかするわけないことをなぜ言うのか?そう聞いて喜ぶ人が案外たくさんいるからでしょう。実現するしないをさほど考えずに美辞麗句を鵜呑みにする人たちです。
余談ですけど、株ブログでみんなで儲けましょうとか、株で暮らせるようにしますとか、億り人にしますとか、まあ実現するわけないことを、高らかに掲げるブロガーがけっこういます。そう聞いて真に受けて喜ぶ人間がたくさんいるからです。魂胆があるのかないのは別にして、人を集めたいということは間違いないでしょう。ただそんな言葉に釣られて集まってくるのはまさにどうしようもない下手くそばかりですから、こぞって株で暮らせるようになんかなりっこないのです。言ってる方はわかってやっているのでしょう。なにか魂胆があると疑われて当然のことをしていて、わたしに他意はないとか自分は誠実だとか言う人もいるから笑ってしまいます。本当に誠実な人間ならわざわざ疑いを招くようなことは言わないものです。
話を公平不公平に戻しますと、少なくとも日本という国はゲームの構造が見える人間には見えると思います。そしてやりようがある。どこかの国のように救いようのない不公平さとは違うと思います。どこまで行ってもどうにもならない不公平さから比べると、まだ不公平だとわかった上でやりようがあるなら、それは多少ましな不公平だと、わたしは思います。漫然と生きてきて行くところまで行ってから負け惜しみみたいに、世の中不公平だと言ったところで、それは天に向かって唾を吐くようなものじゃないでしょうか。不公平だとわかっていて損するのが嫌ならその不公平を利用すれば良いのですから。やるやらないはその人の自由です。
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