会社は誰のものか?
2021年02月23日
こうやって考えてくると会社は誰のものか?と考えるのは、国家とは誰のものかの話みたいに、迂遠でよくわからんという気がします。だいたい誰のものか決める必要もない気がします。ただ冒頭にわたしが書いたように、最近は安易に「会社は株主のものだ」と考える投資家が多すぎやしないかとわたしは思っています。なんか上から目線じゃないですか? 株式会社の出発点って、オランダの東インド会社だって学校の授業で教わったけど、あれって株主が最初に集まって東インドに行けって命令して始まったわけじゃないのです。およそどんな株式会社でも最初が株主であったためしはないわけです。そこにはチャレンジャーたるビジネスオーナーがまず最初にいて、そこで資金調達の手段として株式会社というもの発明した。さらに効率よく資金調達をするために株式市場も作られた。最初に株主ありきじゃないのです。最初にビジネスありきです。そしてビジネスのリスクを共有するのが株主という存在です。
なぜこんなことを言うのかといいますと、これからは大きな成長が見込めない時代のわけです。だからこそ実際にビジネスを動かしている能力ある人間とかビジネスを作り出すチャレンジャーが、一番頑張っただけの取り分を得る社会になっていかないと、この社会はしりすぼみになっていくのではないかと漠然と思うわけです。やる気がでないでしょ。特に今後優秀なサラリーマンはやってられない時代になります。株主というのは資本主義の象徴みたいな存在ですけど、その役割も存在もかなり調整されたほうが良いのかも知れないとわたしなどはまさに漠然と感じるわけです。別に世の中こうなるべきだと言っているわけじゃないです。ただそれこそこのままではかなり先でしょけど革命でも起きるんじゃないかなって気がするわけです。ポルポトって知ってますか? 株主(資本家)なんてみんな殺されたのです。それは皆さん嫌でしょ?どこかでいい感じの調整があったほうがいいんじゃないのかあとなんとなく思ったということです。
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