自分の子どもが児童養護施設の子と友達になったら、、
2021年02月20日

栃木のイチゴというとトチオトメが知られていますけど
トチアイカというのが今後主流になるみたいです
これで縦7センチくらい
美味しいですがどうも病気に強いのでトチオトメより栽培が楽なんだそうで
ただこれを施設の子の視線から見ると、勘が良くて気付く子は何度も何度もそういうことが起きます。一年に一回とか二回とか。わたしがその勘がいい子でした。友達の家に遊びに行く。友達のお母さんにも挨拶する。とても愛想が良いお母さんです。そのうち友達からハルちゃんとは遊べなくなったとか遊んじゃいけないって言われたって聞くとか避けられたりする。理由は施設の子だからです。また遊びに来てねと言っていた友達のお母さんがそんなことを言うって、子どものわたしは怒ったりしません。ああ大人というのはそういうものだと受け入れて学んだわけです。良い気分はしないけどこっちも子どもだから受け入れるしかない。大人というのは言っていることと思っていることは違うもものだし、言っていることとやっていることも異なるものだと。であればよく観察して見破るしかない。
わたしは子どもながらコナンのように大人をよく観察する子どもになりました。大人というのは二面性を持ちながらかつよく変わっていくものだとも学びました。人を疑ってかかるというもんじゃなくて、人とはそういうものだと学んだわけです。本音というのは一瞬の目の動きに出ますね。それを見逃してはいけません。大人によってはわたしのことを根掘り葉掘り聞いてくる人もいました。ああ自分が施設の子だから心配してんだなってわたしもわかりますから、その後はなるべく家に行かなくします。こっちだって嫌な気持ちにはなりたくないのです。
たいていの大人はわたしを子どもだと思って鷹を括っていましたから本音を見破ることができたと思います。これは後年のことですけど、本音を知るためには相手を油断させることだということも学びました。子どもの頃の経験のおかげです。わたしは小学生にしたらやたら勘がいい子だったのです。知能指数も高かった。当時は集団知能検査って学校で受けさせられましたがあれをやるとわたしは問題全部終わって時間が余ったりしてしまうのです。その後児童相談所で入念な検査を何度か受ける羽目になりましたが、ずいぶん大人を驚かせたみたいでした。ちなみに施設で知能指数が高い子は一定数いますけど、たいてい勉強嫌いになります。大人が勉強しろと言うから大人が大嫌いな子はよけい勉強しなくなるのです。わたしもそうでした。
わたしはよく客観的な人間だと言われます。それは自分自身を見る目も含みますが、ここまで書いたきたように油断できない大人に接することで人が自分をどう見ているかに敏感にならざるを得なかった結果です。別に人間ができているわけじゃないのです。たまに人と話していて自分を客観視するのは難しいとか言う人に会いますけど、じゃあ自分だと思わなきゃいいのです。それも難しいならだいたい目盛りを3つくらい下げておけばいいです。10段階で自分が8だと思えば5です。だいたい人が見る目はそんなもんです。
さて記事のタイトルに戻りましょう。自分の子どもが心配な親御さんにとっては施設の子の影響で悪い道へ引き込まれたりするのではないかということでしょうが、わたしが子どもで施設にいた経験でもそして勤務した経験でも言えるのは施設の子は一般的な家庭の子よりずっと生活が厳しく制限管理されていますので、そんなに悪いことはできません。一般家庭の子の方が心配なくらいです。むしろ放任家庭の子の家に施設の子が行って悪い影響を受けるのを施設の職員が心配するくらい。ただ気になるのは物の管理です。施設の子は物に飢えている子が多いですから、一般家庭に無造作に置いてある物に目がクラクラします。出来心で持って帰ってしまう子もいるかもしれません。気をつけていただくとしたらその点です。もっとも放任主義の家は自分の子どもが誰と遊んでいるかも放任ですけどね。施設の子どもが万引きをするということはわりとあります。でもそれは一般家庭の子とはまず一緒にやりません。盗んできたとわかっているものでは友達に自慢できないからです。ということでさほどの心配するような害悪はないということです。施設の子は普通は経験できないような経験をしてきてる子が多いので、世の中でいろんな人と付き合っていく練習になるんじゃないでしょうか?ってわたしなどは思います。
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