ネットにおける仲間意識の怖さ

2021年02月13日
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株ネットの事件簿(誹謗中傷対策など)
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豆腐ハンバーグ
かみさんがカロリー抑えて作ってくれるのですが
美味しいのでパクパクたくさん食べてしまいます

森さんという五輪組織委員長の女性蔑視発言が世を騒がしています。山下IOC委員によるとなんと40分も話していてその一部だったそうです。プレゼンでもないのによく40分も話すなとまず驚きますが、その蔑視発言の下りを文章に起こしたものを読みました。ちなみに読んでいる人どれくらいおられるでしょうか? なんか言うなら読んだほうがよいと思います。それにしてもこういう発言をするとこういう報道になるのだなとむしろマスコミというものの体質を学ぶ機会って気さえします。一言で言うと、森さんの発言は仲間内の発言という意味ではそれほど怒りを買わないだろうし問題にまでならないと思います。おっさんが居酒屋で話す会話です。

しかし実際は日本中どころか世界中の人がその発言の中身を気にしてるわけですからやはり不適切な発言で、女性を軽んじていると言われても当然の内容のわけです。森さんは五輪組織委員会というのは自分の仲間だと思っていてそれでたぶんユーモアを交えてつもりで話したんじゃないでしょうか? それでさすがに言ったことが問題になってそれで辞職するけど辞職の理由が仲間にこれ以上迷惑をかけたくない、そんでやはり仲間の川淵さんに、次は頼むよと仲間意識で託そうとした。川淵さんも仲間意識でひょいと受ける。森さんの意思を継いで相談役にでも、なんてのりです。公職って意識はなくどこまで行っても仲間意識。川淵さんもこの件では晩節を汚した感がでてしまった。

こう考えると仲間意識ってけっこう怖い面があるなと思います。本当に閉ざされた仲間だけで成立している世界ならそれで良いけど実はそうじゃないから問題になる。ネットの世界でも同じじゃないかって気がします。ある人の悪口をブログで軽く書いたとする。書いた本人はその程度なんとも思っていない。それにコメントがついて仲間内でその話題でちと盛り上がる。でもそのやりとりは下手したら1万人が読んでいる。これって、仲間内の会話だから嫌なら読むな、で済むんでしょうか? おまけにネットの発言はいつまでも残る。何年前の誹謗中傷でもちゃんとネットに残っていきます。書いた本人は忘れているけどいつまでも消えないのです。時間的なことを考えれば書いた時に一万人が読んでも10年で何万人も読むことになるかもしれません。

ネットで好きなことを書いてもいいのですけど、それはそれこそたくさんの人が読んでそして長年記録として残されていくものだという意識を持つのはわたしは当たり前のことだと思います。汚い言葉で相手を罵る。罵る人間はたぶん相手に向かって書いているのでしょう。罵って自分はいい気分になったりする。でも実際人が人を罵っているのを数千人の人間が見ていい気分がするわけがありません。それと経緯から事情から全然わからない。つまり読んで面白くない文章です。

何も批判めいたことは言ってはいけないという話でもないです。開かれた場で発言している以上反対意見を言われても仕方ない。ただその時に守るべき礼節と、それと多くの読者の目に耐えられる表現かという意識を持つべきだと思います。そして大切なことは経緯を知らずに初めて読んでもわかる文章を書くということ。わたしが書く記事は古いものも人気があります。その時々の話題に触れても古くならないのは常にたくさんの読者を意識して書いていて言っていることがよくわかるからだと思います。仲間内の会話という意識はありません。事実毎日数千人が読んで、そして記録として残っていくのです。

わたしだって罵詈雑言言われて愉快なはずはありません。でも怒りにまかして言い返すんじゃなくて、じゃあよい機会だからどうやって読者を唸らせる記事を書こうかなと頭を捻るわけです。その取材のために不愉快なブログも丁寧に読む。結局ちゃんとやるってことです。とは言え、わたしが書く文章ですからそれは痛烈。モデルは複数と言いながら自分のことだと思う人間にとってはたまったもんじゃないという出来にはなる。それは因果応報だとしか申しあげようがありません。記事にご協力いただきありがとうございましたというところです。わたしがこんなブログを痛烈に16年も書いてきて多くのファンを獲得できているのは、こんなスタイルのおかげなんだと思います。
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