株で作った資産と投資家としての資質の関係
2021年02月07日


風も暖かく感じる日
夫婦でサイクリング
タウンウォッチングをしながら荒川まで
その後芝川自転車道を経て
角上で夕食のネタを購入
のんびり30キロほど走りました
かみさんは疲れたなんて言ってるけど
わたしは帰ってまたジムで走りました


洋風にアレンジ
本当はメインは牡蠣のアヒージョにしようって言ってたんだけど、おつまみをいろいろ食べているうちにもうお腹がいっぱいになってワインを進んでしまったんでアヒージョは明日にしようってことになりました。
少年少女が「どう凄いでしょ」と他愛もなく自慢する時に、人を見下したりする気持ちなんかありません。そもそも自分と他人を比較する気持ちさえない。自慢と人を見下すはまったく別のものなんです。ところが大人になると、人の自慢を聞くと自分が見下されたような気になって癇に障る人がたくさんいます。これってどこから来た感情ですか? 自慢している人間?本当にそうですか? 見下されたと自分で作り出した幻影じゃありませんか? そして自分こそが他人と比較していませんか? 大人になると人の自慢を素直に聞けない、人の成功を気持ちよく祝福できない、それは自分がそうなったのです。
思い出してください。少年少女は他愛もなく自慢するけど、それを聞いた友達は、素直にスゲーと目を見張ります。子供は「あの野郎自慢げに話やがって俺のこと馬鹿にしてる」なんて思いません。スゲーからスゲーなんです。でも子供だってスゲーの見分けはしています。金持ちの子どもが親から買ってもらった高いブランド服を自慢したら貧乏な安物を着てる子はスゲーなんて思いません。子供だってそのあたりの見分けはつくのです。ところが大人になると、おもしろいことに人から与えられた地位とか肩書とかにあるいは権威に簡単にひれ伏すようにもなる。俺は部長なんだぞとばかりに話しても、自慢すんじゃねえぞ、と反発するんじゃなくてひれ伏す。意気地がないったらありゃしない。
なんにせよ、大人になることで自分が捨て去ってきてしまったものがあり、一方でどうにも子どもの時とは違う気持ちを自分でまとってしまった。それは全部自分でやったことなんです。わたしのブログを読んで見下されたと感じる人がいるとしたら自分が作り出した幻影と他人の見分けがつかない人たちです。ドン・キホーテみたいですね。
前の記事で株で築いた資産と投資家としての資質について書いてみました。反感を感じる人はいると思います。例えば自分が1千万円株で儲けた。それで株について語っているのに一億円儲けたと言っている人間がでてきてなんか喋りだしたら面白くないって人がいます。それで運用資産と投資家の資質は関係ないだろうって言いだしたりする。でもその人は1千万円稼いだからこそなんか人に講釈しているわけです。百万円じゃやりませんよね。極端に言えば10万円じゃバカにする。そんな額では誰も聞いてくれないからです。でも1千万円ならそこそこうまく行っている方で聞いてくれる人もいるからそれでまあいろいろ講釈する。これってただ目盛りが違うだけの話じゃないですか? いくら書いている内容が立派だと言ったところで、結局その人は1千万円をバックに話をしているんです。10万円100万円じゃ話せないのです。いくら理論が正しいと言ったところでそれは結果でしか証明できないのです。そういうことで一億円儲けたという人間から自分が見下されたと感じるとしたら、それはたぶんその人の幻影です。子どもの心をどこかに置いてきてしまったんでしょうね。
わたしより株で儲けている人はけっこうこの世にいます。カリスマ投資家としてでてきたりします。スゲーって思います。やってること違います。でも羨ましいとかは思いませんし、ましてや見下されているとも思いません。自分がどれだけ稼げばいいかわかっているからです。それがわからずにただ人と比較して自分を見ていたら常に自分の中に幻影と欲の二頭の猛獣を飼うことになると思います。どちらも自分が作り出したものです。よく株は自分との戦いだなんて言う人がいます。たぶん見栄とか欲とか恐怖のことでしょうけど自分で猛獣を育てておいてよく言うよってわたしは思いますね。
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