億り人はなると違う景色が見える?見えない?

2021年02月06日
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株式投資
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月にパン代だけで1万円以上って多いのかしら?

雀聖と呼ばれた阿佐田哲也氏の著作の中に、実力とレートいう話があって、彼によれば結局実力が違うとレートも違うということなんです。高い実力を持つ強い雀士は高いレートに集まる。逆にいくら低いレートで良い腕前でも高いレートに行ったらまったく通用しないということが起きる。打っているところを後ろから見て、上手いな一流にも負けない腕前だなと思うのに、それがレートが高い麻雀メンバーに誘われて一緒にやると一見筋悪とも思える雀士にボロボロにやられる。慣れと言えるのかもしれないけどそればかりでもないようだ。結局壁になってその壁がなかなか乗り越えられない。そういうことで麻雀はあくまでも勝負だから上手い下手じゃなくて強い弱いで順位が決まる世界。いくら上手くても上にいけない人間というのがいる。わたしも元競輪の車券師だったし、学生時代に麻雀はのめりこんだけど、大いにふに落ちる部分があります。勝負事が理屈で全部説明しきれない所以だと思います。

株式投資の世界もわたしは似たような側面を感じます。いくら知識を身につけて実践も積んでウンチクも素晴らしく語っても、その人のやっている資金こそがその世界の人ということです。資金が少ない人は資金が大きくなってもそんな変わらないと思っている人が多いです。理屈さえしっかりとしていれば同じことをやればいいだけだと思っている。資金が大きい人間が人間として偉くもなんともないと思いますが、でも投資家という面においてはやはり別の世界にいる人間なのです。同じ姿勢で大きく張り込めば大きく勝てるという世界じゃないのです。金額が上がったところで今まで見えていなかった例えばプレッシャーとかストレスがかかってきて同じようにできない。あるいは同じようにやっているつもりだけど何故か負ける。あるいは株式投資以外で成功した人とかもともとのお金持ちが、株式投資をはじめて大きく資金を溶かすというケースは多いと思います。いくら金持ちでも株の初心者にはやはり扱える金額の限界というのがあるのかもしれません。株では実績がないわけですから。

わたしは億り人になれば、パッと景色が開けるなんて思っていませんし実際そんな記憶もありません。ただそのレートというか資金量を長く持ち続けている意味というのは何かあると思います。あっという間に億り人に駆け上がる人もいますけどそこで長く持ち続けられない人も多い。結局その人がその世界の人ではなかったと言えると思います。逆に持ち続けられるならその世界の人ということです。儲けるほど偉くもないし幸せでもないのですから、別に羨ましがったり尊敬するようなもんじゃないと思いますけど、もしも株で誰かを参考にしたいなら、どこの世界に自分は行きたいかということを考えて選んだらいいのではないでしょうか。まあ自分が目指す金額の倍から数倍くらいの実績を持って長く維持している人を参考にしたほうがいいんじゃないかしらって思います。成功するまで10年、維持が10年で最低20年とか。つまりだいたい先生と同じ世界を目指すということです。

一億円儲けた人を先生にしても同じく自分も一億円儲けて先生に並ぶのは難しいと思います。逆に10億円の先生についてもそんな世界に行く気がないなら同じ世界の意味もないわけで参考にならないし、むしろそっちは害悪をなす気がします。逆にどんな立派な理屈を並べる人でも、1000万円の世界の人はその世界の人ですから、億り人の世界には連れていけない。これは上に書いたように阿佐田哲也氏でさえ理屈で説明しきれない、何かあると、いう世界ですから、納得がいかない人もいると思います。でももしも理屈以上のなにかってあるかもと感じるなら、わざわざ自分の目標と資金量の合わない人を先生に選ぶことはないような気はします。弟子のほうが資金が大きくなったら先生びびってアドバイスできないと思います。
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