わたしにとっての優しさの意味
2021年02月04日

こういう雪の時はどう滑るんだっけ? 最初は気持ちいいのね。柔らかいバターでも切る快感がある。でもそれも最初の3本くらいまで。人が掘り返した跡が大変。て言うけど自分もやってんだからね。良い解決策は早めに上がること。いつでも好きな時にこれるんだから。 温かい温泉が待っています。温泉を浴びてそれからバイトに、その後ゴルフをしました。そんでまた温泉サウナ。こんな暮らしが今のわたしの当たり前です。
よく友人知人から「夢のような生活だな」と言われます。そういう場合に言う方に現実味はないわけですが私からするとこれは夢のような生活じゃなくてまさに現実。言えるのは夢に描いた生活を実現したということです。見る人によればセコくてささやかな生活ですけど、まあバリバリの貧乏出身からみたらこれで満足です。これ以上は畏れ多い。やはり夢というのは夢で終わらせずに実現してこそ。そのためにはクリアにイメージすることだと思います。それがクリアであればあるほど達成感もあるし、初心忘れず欲をかかない。それがただ儲けたいとか曖昧な状態でやっていればいつまでも満ちたりることを知らずとなるような気がします。
さて記事のタイトル。以前勤めていた会社ですが変なことを言う事業本部長がいました。上司に気遣いできる人間ならお客にも気遣いができるはずだって言ってました。それで自分におべっか使う茶坊主ばかりを昇進させたんです。結果会社は惨憺たるものになりました。その本部長の言うことは根本から間違っていた。会社が衰退した理由は部下は自分の気遣いキャパのほぼ80%90%を上司に向けて、お客には残った10%20%しか向けなかったのです。上司が喜ぶことがお客が喜ぶより大切という会社になったのです。ただ不思議なめぐり合わせです。その人が会社をめちゃくちゃにしたおかげで、わたしに活躍の場が与えられたのです。わたしは思いのままに暴走できた。こうなったらハルトモにやらせるしかないという機運になった。しっかりとしていた会社だったら、わたしはあれほど突っ走るなどできなかったと思います。
わたしは自分のキャパというのを気にしています。優先順位をつけて、自分のパワーの使い方にめりはりをつけます。わたしは自分の家族を幸せにするということが再優先です。それは生い立ちから得たわたしの決意でもありました。その次に親友だったり、或いは縁を得た児童養護施設の子どもだったり、なにせ、この人を護ると決めたら全力のわけです。その代わり他の人へのパワーはお留守気味になります。わたしのことを優しくないという人と優しいという人と二極化します。わたしは会社では優しいと言われたことはあまりありません。まずさほど優先順位が上でないという理由と、それと恩着せがましいのが嫌いなんでわからないようにやるんです。感謝されるのが目的ではありません。わたしがどれだけ部下を護るために上と戦ったかなんて部下は知りません。
一方で会社で誰に対しても優しいという人もいました。ところが会社ではいい顔をしているのに一番大切な家族をないがしろにしているような人がいました。あるいは普段は優しい態度だけどいざとなったら逃げてしまう人もいました。優しいだけで肝心なところで役に立たないと言う人もいました。でも本人は自分は優しいつもりなんです。ただできないものはできないとあっさりしたものです。そしてたとえ行動を伴わない言葉だけの慰めでも言ってもらったほうが嬉しい。だから自分も言葉だけでも優しくする。つまりそういう人にとっての優しさと私の優しさは意味が違うということです。わたしは口で言うほど実は優しくない大人に囲まれて育ったものですから、できもしないことを調子よく言う人間にはなりたくないと思うようになりました。できない優しさだったら優しくないのと一緒どころかがっかりさせるだけ下だと思ってます。
ちなみに大変申し訳ないのですが、このブログの読者さんは大切だと一応い言いますが、それはあくまで読者として読んで笑って欲しいというだけです。読者に株で勝ち組になってほしいとか不動産で成功してほしいとかまったく思いません。なぜならできっこないからです。できないことは言いませんし、そもそもできないことはやりたくないって人間なんです。わたしは読者の参考になればとかお役に立てて嬉しいとか言わないでしょ。(たまに社交辞令で言いますけど)。ただみんな負ければいいんだとかは思ってないです。だからやらないほうがいいですよって言う。わたしなりの誠実さってとこです。
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