日本人に欠けるものー批評家精神

2021年01月25日
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人生の考え方

このブログの読者が意識なされているかいないかは存じ上げませんが、このハルトモ のブログは現代評論というカテゴリーに属する文章だとわたしは自分で意識しております。漫談の仮面を装う批評批判と言っても良いかもしれません、その意味することは、多くの固定的な既成概念を多様な視点から再構築して新たな思考の可能性を追求するということです。平たく言うなら多くの人がよく考えていないけど世の中ではまあそうだと決まっているようなことを、本当にそうかと、自分なりの視点で一から考え直し検証し、必要とあれば新たな解釈を提示することです。これを批評家精神と呼ぶとするなら批評は実践的行動の原動力になります。まったく新しい解釈や仮説ならそれを実験実証してみたくなるのは自然なことだからです。

わたしは既成概念を疑い深く考えている批評家精神を持つ人間の方がむしろ行動力があると考えています。よく批判は要らないとか、あいつは評論家だとか、行動を伴わない批評批判は揶揄されるわけですが、よく考えるとおかしな話です。行動をしないことを否定されるのは当然という状況は大いにあり得ても、人間であるもの考えなくて良いということはないはずです。本当に自分の頭で考えようと思うなら、冒頭の批評の定義に立てば、批評家精神はむしろ必要なものではないかと思えます。でなければ上から言われたことを肯定するだけになってしまいます。

「よくブログのネタが尽きないな」とか、「よくも毎日書くことがあるな」とか、わたしは言われたりしますが、このブログが批評家精神に満ちた評論という側面を有する以上、書くことすなわち考えることのネタは尽きません。この世は既成概念と固定概念で充満しているからです。海外と仕事をした経験から言うなら、特に日本人はこの傾向が強いとわたしは思います。日本人に色濃く見える集団に属することを心地好しとする習性こそが既成概念と固定概念を肯定するものだからです。

わたしは学生の時にいわゆる評論というカテゴリーの文章が好きでした。よく本を読む人でも評論は読むのが面倒と嫌われることが多かったと思いますがわたしは好きでした。もともと批評家精神を持っていたんだと思います。そして多くの評論から考えるテクニックを学んだ気はしています。じゃあと今から読めと皆様にお勧めする気もありません。このブログを読めば良いのです。ひょっとして現代1級の評論かもしれませんぞ。なぜならそれなりの数の人がこのブログを読んで、なるほどそんな考え方があるのかと膝を打つ一方で他で似たようなことを読みも聞きもあまりしないからです。今日の拙文もなんとか自慢に漕ぎ着けました。

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かみさんから
夕食はカレーと聞くと
わたしの批評家精神は一気に萎えます
美味いに決まっているんであります

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