本当の成功者は自慢話なんかしません(謙虚です!)か?
2021年01月23日

わたしの1番の自慢は実はかみさんなんです
でもかみさんの自慢を書くと怒られるんで
仕方なく自分の自慢をしております
一方で叩き上げの成功者は成功への過程でいろんな人の感情の機微に触れてきています。そのあたりが敏感だからこそ成功できたとも言える。人間というのは妬む生き物だということをよく知っているわけです。だからつまらない妬み嫉みなど買うのもばかばかしいから相手を見てコミュニケーションをするんです。つまり成功者は自慢話なんかしませんと言うのは、その人には自慢と取られないように注意して話しているってことです。ブログでもそうですよ。社会的な立場ってものがありますから、どこで足元をすくわれるかわかったものじゃない。だから謙虚に振る舞っておけば間違いないのです。いわゆる大人の振る舞いということです。
でも成功者だってたまには普通に話をしたいわけです。それは相手次第です。相手が妬むような人間でないとわかっていれば普通に話します。わたしはそういう会話をたくさん聞いてきてます。わたしが人を妬むような人間でないとわかると安心して普通に話すんです。別に普通なんですけど、きっと貧乏人が聞き耳をたてていたら自慢話だと感じると思います。つまりですよ、ある意味で貧乏人を馬鹿にしているわけです。本音を話すと本筋に注目しないで妬みとかの視点でしか見ないんじゃないですかって。でも実際それは当たっているのです。
わたしは自分のブログである実験をしています。このブログを読んでただ自慢が鼻にしかつかない人たちがいる。去っていけばそれで良いのですが、でもわたしの自慢はそのあたりにある自慢とちょっと違うと思いますよ。なかなか味のある自慢と言いますか、実体験から滲み出る自慢です。わたしみたいな自慢をする人って滅多にいないというか見たことないんじゃありませんか? だからこのブログを読むんでしょう。苦労人でこんなあっけらかんと自慢する人はなかなかいないのです。これがわたしなりの率直なコミュニケーションということで、むしろ上から見ているようで目線は実は貧乏人にあるのです。
少年は相手を見下していないからこそ、見て見て?とか どう凄いでしょ!と他愛もない自慢をするし、聞いた友達はすげーと素直に驚く。純真な子どもは人を妬んだり自慢に眉をひそめたりしません。そんな少年少女のような純な気持ちを忘れずに生きていくぞというわたしの美意識がこの自慢ブログのわけです。自慢を嫌うのは大人です。子どもの気持ちをどこかに置いてきてしまったのです。
ところで自慢の対極に謙虚という言葉があります。謙虚という言葉の意味はふたつあるとわたしは考えています。人に対して謙虚に振る舞うという姿勢と、謙虚に物事を考え行動するという姿勢と、つまり外に対する謙虚と内に向かった謙虚です。自慢を嫌う大人は外に対する謙虚しか見えません。でも本物の謙虚は、自分の分をわきまえて不相応なことはしない、できもしないこともしないという、自分自身を制御する謙虚です。そうなりますと、例えば株式投資ではわたしくらい謙虚な人間はいないということになります。自分では謙虚だとは思ってませんが、なにせ少しでも危ないと思ったら手を出さないのです。一方で言葉は謙虚ながら、負けるようなことを平気でする世の投資家さんには傲慢というレッテルを貼るしかないとわたしなどは思うわけです。できもしないことをやろうとするからです。わたしより謙虚になりたいなら株を止めればよろしいかと思います。負けはないしお勧めですよ、そんなに謙虚が好きならね。
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