誰かがちゃんとやってくれるだろうという甘ちゃん的発想
2021年01月12日

リゾートマンションの窓から降りしきる雪を眺める
明日は積もりますね
雪かきはしないので安心して眺めていられます
誰かがちゃんとやってくれるだろうという甘い発想はそのまま、誰かがちゃんとやるべきだという、何につけ自分の問題だとは考えない他責を得意とする日本人的発想の発露だとわたしは考えています。コロナの問題もほとんどそんなノリです。日本はこどもにもっとお金の教育をするべきだと発言する人がわりといます。でもそんな発言をする人こそ到底教える能力があるとは思えない人なわけです。じゃあだれがどんなお金の教育をするのか?今この日本でお金の教育を学校なんぞでやったら、それは一部の金持ちや権力者の道具にしかならないということを考えているのでしょうか? お金の教育をするべきだとは安易に結論づけてもどうやってやるんだとまでは考えていないのです。
つまり誰かがちゃんとやってくれるだろうという甘い発想があるわけです。憲法改正の問題も同じです。改正論者が今の憲法の不備をさかんに唱えます。確かにいろいろ問題はある。だがいざ改正するとなればこれはろくでもない方向に国民が引っ張らっれるリスクがある。もしも戦争を二度としたくないという一点を優先するなら簡単には憲法は改正できないとわたしは考えています。改正を唱える連中になにやら危ない下心を見るからです。お金の教育の話に戻すと、教えるのではなく自分の頭で考えさせる教育をするべきとわたしは思いますが、日本の個人投資家を見ていると大人こそ自分の頭で考えろと言いたくなるこの現状で、どうやってお金の教育なんぞできるんだろうと思います。大人こそコペルニクス的発想の転回が必要だと思いますが、それはラクダが針の穴を通るより難しいでしょう。
- 関連記事
-
-
金融増税の話はどこに行ったのか? 2022/06/10
-
運が良い人は何が違うのか 2021/08/26
-
わたしが米国株にシフトして良かったなと思うこと 2023/03/02
-
いい株教えてくれよ 2014/04/16
-
決算は作られるってことわかってんのかしら? 2022/05/14
-