低い山に登り出すとそれ以上高い山は見えなくなる
2020年12月31日

会津の田代山
今年は登山道が天候不順で閉鎖
残念、また来年登りたいです
わたしを誹謗する人たちに共通点がもうひとつあって、わたしに比べるとかなりしょぼい投資成果という点があります。実際億り人でわたしを悪くいう人は一人もいないのです。なぜでしょうか? わたしにすると、まさに上に書いた先入観と既成概念で作りあげられたバイアスが邪魔をして自分の殻を破れないのではないかという仮説を立てたくなるわけです。その意味でおつむの中がどうなっているのかなとコメントのやりとりをさせていただいたりもしましたが、これがまた非常に興味深い。「ハルトモのブログなんてろくに読まなくてもインチキだとすぐわかる」という答えがその代表です。彼らにしたら最初からインチキと決めてしまっているのですから読む気などするわけがありませんね。なるほど、それは頷ける。つまり一瞥して後は既成概念で判断するという思考サイクルのわけです。
彼らは投資家としてはかなり研究しておられます。勉強量で言うならわたしなどより桁違い、いや二桁違いで多いと思います。語る技術的なウンチクなど淀みもありません。その努力があってそれなりに負けてはいないと言える程度の成績は残せているんだと思います。言うなら頑張って100人中50番ぐらいから8番とか9番くらいにまで上がってきたということだと思います。さてでは彼らは今後100人中1人とか1000人に一人という存在になりえるでしょうか? わたしはあくまでも仮説ですが、それは難しいだろうという立場にあります。それは、かれらがいままでのささやかな成功体験の積み重ねの中でバイアスを形成してしまい、大きく跳躍することができなっていると思うからです。だから自分が想定できない成功例を認めることができない。まさに小さな成功を積み重ねるほど大きな成功から遠のく。まったく別の低い山に登っているとも言えます。一度山を降りないと高い山には登れないわけですが、彼らにとって自分の山を降りる選択などあり得ません。苦痛でしかない。だって自分で言っているとおり高い山が見えないのです。ただ目の前の登山道とそして自分が登ってきた道が見えるだけ。
わたしはこの記事で彼らの批判をするのが目的ではありません。もちろん批判的に書かざるを得ないわけですが、まず彼らの罵詈雑言に比べたらかなり節度ある物だし、その上で彼らとわたしを比較して投資家としてのあり方を一度整理するのは、多くのこれから山に登ろうとする、あるいは少し登りかけた投資家にとって有用な精神作業ではないかと考えるわけです。言うなら公共の利益です。彼らの名誉のために言うなら、たぶん彼らがめざす山でも立派なものです。それで良いと思うならそれで良いのです。山は一度登り出すと他の山への道が見えにくくなると思います。登る前によく吟味して選ぶことですが、そこで自分の健脚ぶりとか体力とかそこを考えないといけないわけです。登れない山に登っても仕方ない。
ただ長い投資家人生で登れる山はそんなにいくつもないでしょう。わたしなどは自分で最初からこのくらいの山に登ると決めていました。それで一気に登り切ってしまった。さすがに山頂に行くと景色がよい。もっと高い山も見えますが興味ないわけです。もっと高い山に登る投資家もいます。でも否定したり羨ましいとか思いません。株式投資がしょせん人生の一部でしかない以上、人生が十分豊かなで幸せであれば、不必要に高い山に登る意味はないとわたしは思うからです。さてみなさんが登られる山はどんな山でしょうか? え?なに? ゴンドラに乗って山頂まで連れていってもらう? そういうゴンドラも乗り口だけはあるみたいですね。入場券も売っている。実際どこに行くかしりませんけど、とにかく億へのゴンドラ。でもそのゴンドラに乗ってちゃんと山頂まで行った人、わたしは見たことないのです。ゴンドラ降りたらもっと低かったって人ならたくさん見えますけど。
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