我が家は自分の子どもがテストで良い成績を取ったからと言って褒めたりご褒美をあげたりしたことはありません。悪い成績を取ったからと言って怒ったりあるいはがっかりとしたこともありません。他者の評価やランキングに一喜一憂するような人間になって欲しいと思わないからです。それと勉強をするのは親のためではないことをはっきりとさせたいとも思っていました。自分のためにやることです。さらに振り絞るように良い成績をとっても意味がないくらいにも思っています。わたしの知人で過度に子どもに期待をかけたせいか優秀な子で進学校に上がったのにそこで不登校になってしまったケースがあります。中学の時にはずっとクラスで一番でそれが自分の価値だとたぶん思っていて、それが進学校では一番になどなれないので、自分の存在価値を見失ってしまったと思われます。その知人は本人自身も一流大学の出身で、少しでも偏差値が高い大学に行くことで人生は有利になる、すなわち幸せに近づくと思っています。ある教育熱心な別の知人が興味深いことを言っていました。子どもが良い偏差値を取るために頑張っているのを見て応援してあげたいなと、そういう気持ちでサポートしているんですと。自分がそう子どもを誘導したという意識がないのです。親の態度は子どもに大きく影響をします。親が求めるから子供はそうなったのです。わたしは子どもには子どもの夢があり自分の人生を歩んで欲しいと思っていて親の期待や夢や、または鬱憤などを子どもに乗せるべきでないと思っています。
ここまで読んで、それは理想論だとか、浮世離れしているとか、綺麗事だと思う人が多いのではないでしょうか? やはり自分の子どもとなれば少しでも良い学校に行く方が幸せに近づくと思ってしまうのは、勉強など求めなくても成績の良いよほどのエリート家庭でない限り、それは当然だと思います。わたしのような価値観を持ち合わせた人間はそんなにいないのです。ただいくら経済的自由を得て会社を辞めて自分が自由になった気になっても、その一方で家庭に問題を抱えていたら、それでは自由人とは言えないのではないかもという気がします。つまり真の自由人とはいうのは家庭とか子どもの悩みトラブルからもフリーでこそのもののわけです。もちろん生きていればいろんなトラブルはあるのは当然ですが、それは心を折ったり消耗するようなものではないということです。まあ子どものことでクヨクヨとか一喜一憂しなさんなとわたしは簡単に言えますけど、言うは易く行うは難しということでしょう。わたしがブログで書いていることは、人生観でもあるいは投資についても、ほとんどが、言うは易くて行うは難しかもしれません。わたしはできるのに多くの人はできないどころかやろうと思わない。なんででしょうか? きっと何かが邪魔してるんでしょうね。
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