考えるヒント。カシオはロレックスを駆逐しなかった

2020年12月17日
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株式投資
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リゾマンからも一面銀世界となりました
モノクロ写真みたい

これからBBV(ピュアEV)の普及によって車の値段が大幅に下がるという指摘があります。業界内でもあるいは財界人でもそう言う人がいます。それを聞いて、権威のある人が言うことだから、あるいは新聞雑誌にかいてあるからと信じ込んでしまう人も多いかもしれません。まあそのとおりかも知れませんけど、ひとつ自分の頭で考えてみるという習慣はいかがでしょうか? 

わたしが子どもの頃機械式の計算機というのがありました。あれは安い電卓が出て姿を消しました。時計もクオーツの安い時計が出てきました。でも精度がはるかに劣るにも関わらず、高級な機械式時計は駆逐されません。それどころかクオーツというメカニズムを採用しながらけっこうな値段の時計が売られている。さて、時計と機械式計算機といったい何が違うのでしょうか? もし分類するとしたら、乗用車は時計に近いのか? それとも機械式計算機に近いのか? わたしの物事の考え方はこうやって進んでいきます。

時計には機能以上の何か価値があってその価値があるからこそ、機能的にはとってかわられてしかるべきなのに存続する。一方機械式計算機には機能以上の何もないから電卓に置き換えられたのではないか?では少しN増ししてみましょう。(事例を増やすという意味です) タイプライターはどうですか? あれはけっこう名機とかあった気がします。でもさすがに現時点であれを使っている物書きはいないでしょう。つまり機能以上の何かがあっても、それが十分でない限りは駆逐されそうだと言えそうです。では万年筆なんてどうでしょう? あれだって最初は便利だから普及したはずです。いちいちインクにつけてたものをわたしは知っています。でも安いペンがいくらでも出てきて100円でも秀逸な書き心地のものがあるにも関わらずに万年筆は消えない。なぜでしょうか? 

ここでもうひとつ別の視点に気づきます。人の目に触れるということです。機械式計算機もタイプライターも通常は家にあってひと目にそうそうは触れない。一方時計も万年筆もひと目に触れることが十分意識されている。そこから派生して所有欲を満足させる価値があるのではないか? どうもこの仮説は成立しそうな気がする。では車はどうでしょうか? これは議論を待ちませんね。ひと目に触れて所有欲を満たし、そして成功の象徴とも言えるのが車です。見せびらかすために買っている人が多いのです。

そうなるとコストが下がるんだから売値も下がるに決まっているという、言うならロマンもなく短絡的な主張にわたしは唯々諾々と頷く気がしないわけです。それはもちろん安い車は出てくると思いますよ。それを求める人もいる。だからみんなが安ければ良いとはならないでしょう。そもそも車の場合には安全性とか故障しないとか、衝突などへの強度とかで維持されるべきコストというのは消えず、むしろ無人化とか自動運転化でそれらは強化されるかもしれない。ぶつかっても誰も怪我しない車にしろという法律ができるかもしれない。つまりコストが減った分他に金をかけるかもしれないわけです。

所有欲に話を戻すと、上質な室内空間を提供する強固でたてつけの良いボディとか、あるいは怪しく光る塗装技術とか、もちろん乗り心地とか、ステアリングはじめすべての動きの滑らかさとか、今は高い車に当たり前で乗っている人間がなんとも思っていないものが、やはりあるべきとなるかもしれない。時計なんて本体も高いとバンドまでやたら高いわけです。同じことが車に起きても不思議ではない。

そう考えてくると、テスラが高級車から入ったのはこれはコストが下がらないからでしょうけど、でも結果として正解だったかもしれない。テスラがトヨタみたいな大メーカーになるという人がいますけど、車というものが社会インフラ的になればそれは可能性はあります。でもとんでもない激しい競争になるでしょう。それよりもロレックスのようなブランドとして、今のBMWやベンツみたいに存続するのもなにか似つかわしいと思うのは私だけでしょうか?わたしはこのブログで自動車の未来を語りたいわけではありません。自動車という例えで、わたしの物事の考え方をご披露しただけなのです。なにせ自分の頭で一から考えるということです。人の意見はそれから聞いても遅くないのです。いきなり聞いてああそうなのか! じゃあないのです。

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Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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