奴隷や負け組、はたまた貧乏人とか

2020年12月15日
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株式投資
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リゾートマンションはロビーやフィットネスルームや図書室を持っています
部屋だけ暖かいのではなく全館暖かいこれが冬こそ嬉しい
心も全館暖かくいきたいものです


わたしはわざと「奴隷」とか「負け組」とか「貧乏人」いう言葉をブログで多用します。なぜならその言葉に異様に反応する人たちが数多くいることを知っているからです。言葉は常に文脈の中で生きる、文脈でこその言葉なのに、その書き手の意思とは別に、言葉だけを取り出してアレルギー反応を示し心穏やかで居られない人たち。その言葉を聞いただけで、もうバカにしているとかしか思えない人たち。でもそんな人達が実は、わたしが味わってきたほどの辛酸など知らない恵まれた人たちであるとしたら? その対極の構図がわたしには妙に愉快なわけです。わたしほど貧乏の辛さを知っている人間などそうそうはいません。

わたしが貧乏人をバカにしているだけだと上辺だけの見方しかできない人たちがいる。でも本物の貧乏人はそこで終わったらまさに負け組。言ってみるなら自分を直視することから自由人への旅は始まるのです。甘い言葉で自分をごまかさないということです。その言葉に対する厳密さが、自分の魂を掻き立てるわけです。「絶対に奴隷は嫌だ」と。奴隷だって幸せになる方法はいくらでもあります。でもわたしが奴隷そのものが嫌なのです。だからこそあえて奴隷という言葉の意味を明確に意識していくわけです。それに反感を持つ人間ほど、実はあまちゃんという傾向はあるでしょうが、まあわたしにとってはどうでもよい人達です。それなりにけっこうな暮らしをしている人たちです。わたしは本当の貧乏人こそへ応援歌を書いているのです。

実は本当の意味でのわたしのターゲット読者というのは非常に狭く少ないのです。それ以外の人達にはただのきつい洒落と自慢話しでしかないのですが、これが案外面白いものですから、けっこうな固定読者がついているわけです。実は自分はそれなり上等な人間だと思っている人たち。そういう人たちの心根を、ぶるぶると揺するのが面白いのです。自分は上等だと思いながらも、なにかを怖れ、心の奥底から自分を解放しきれない、言ってみるなら、そういう人をわたしは嘲笑っているわけです。君にはわたしのようにできんだろうと。いざやってみたら簡単なことなのに。大江健三郎氏が書いた短編に若きわたしは衝撃を受けました。「見る前に飛べ」。結果を恐れていたら人は飛べないのです。自分が奴隷だという意識があるならば、それをバネにまず飛んでみよ。そういう意味でのわたしの言葉遣いというお話でした。
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