自称中流

2013年08月29日
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日々の雑感ーリタイアライフ
今わたしは55歳で18歳の時から働いているので
もう38年も働いてきている
いろんなサラリーマンを見てきたが
自分の実力
これがわかっている人間というのは数えるほどだった
 
サラリーマンというのは
自分の実力と会社の実力を混同しやすい
特に大企業に勤めていると
ほとんどの人間は一生、会社の実力と自分の実力が切り分けられない
名刺を出して大企業の役職者である自分以外をイメージできないのだ
 
これを明確に切り分け
己の価値を会社へ依存しなくなると
真の自由人への出発点になるのだが
かえって自分がみじめになってしまうので
なかなか踏み出せないもののようだ
 
ようはまず一個の人間tして
自分は大した人間でないことに気付く
この気づきが出発点である
これは学歴にも同じようなことが言える
子供がちょっくら受験勉強して一生のうのうと暮らそうというほうがおかしいのだ
 
わたしが以前勤めていた会社は
それなりの図体だが外資系ということもあり
自分の実力がある人間でないと結果が出せないという会社だった
まるで株式投資のように
瞬間的には結果が出せても継続できない
いやその瞬間的にさえ結果を出せる人間は稀
そういう環境だった
 
能書きはずいぶん立派でも
しばらくやらせてみればわかる
いろんな人間がどこかの大企業でわたしは凄かったのです
などと言って転職してきたが
おもしろいことに
そういう人間に限ってただの一人も結果を出さなかった
 
あそらく今後も
結果を出す人間は現れないのではないかな
辞めてしまった会社ではあるが
哀れな話である
 
前の前の会社というのも
似たようなもんだった
30年間も成長していないのだ
ある意味立派であるが
そういう会社は何も持って人を評価するのか?
もちろん
建て前は実力であるが
会社が伸びてもいないのに実力もなにもない
 
それでもういう会社で
評価されて出世すると
自分はひとかどの人物だと思ってしまうのは
会社と個人が切り分けられないからだ
 
中産階級という言葉がある
中流という言葉でもいい
わたしが以前とその前に働いていた会社はそこそこの会社であったので
社員は自分が中流だと
下手すると上流だと思っている人間が多かった
 
それなりの会社に勤めて
それなりにポジションを得て
それなりの給料ももらい
なんとかマイホームを手に入れて
子供の養育して
なんとか定年まで勤め上げて
そして年金でそれなりの生活
ああ、我ながら嫌なことも我慢して頑張った
 
こういう人は
なんだかんだと言って、自分の人生に満足している
だが実態は立派な被搾取層である
でも自分ではそれなりの人生と満足しているので
あえて被搾取層から抜け出ようという努力というか危険は冒さない
いや冒せない
 
そこに
自称中流層と
富裕層の大きな壁がある
自称中流層は滅多なことでは富裕層には行かないのだ
結果富裕層を支える役割を果たしているのが
まさに自称中流層
 
かくして
富裕層はそれなりの比率で維持される
とも言える
 
 
 
 
 
 
 
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