ブログを書くのは誰のため、なんのため?
2020年11月27日

那須は霧がよく出ます
なかなかの景色だと思うようになりました
人生と同じくなんでもくっきり見えれば良いというわけでもなさそうです
実は時々株関係で内緒のメッセージとかいただいてまったく返事をしていないことがあります。返事をする気分になれないメッセージだからです。わたしの生い立ちは自己紹介とかプロフィールも書いてあります。それはそれは貧しいという経験をしてきています。今は確かに裕福ですが、わたしの視点は常にこの世の弱者にあります。株価に一喜一憂する豊かな人たちにどうしても共感できない部分があります。どうせ人を助けるならもっともっとと豊かな生活を求める人より、人間らしいまともな生活をなんとかして求める貧困と苦難にあえぐ人たちを助けたい。なにもわざわざ欲の皮の張った、めざせ億り人なんて強欲な投資家を助けたいなどとわたしは思いません。億り人を目指す投資家が想像もできない苦しい生活をしている人たちがこの世にたくさんいるのです。言うなら、そういう方々はそういう方々同士で仲良くやっておられれば良いと思います。
できれば投資家を応援する気持ちの数分の一でもいいですから、児童養護施設の子どもを応援して欲しいとか思いますが、わたしがそんなことを言うと、寄付してますとか言う人が必ずいます。だから金持ちは嫌いです。なんでも金で解決ができると思っている。本当に困っている人が寄付されてどんな気持ちかわかりますか? 金だけ来て姿も見せない連中に感謝なんかしません。愛情を持って施設の子を抱きしめる、自分の金ではなく時間と体力を注げるかなんです。もちろん株ブロガーさん全部が欲の皮が張っているとも思っていません。ただ自分なりにかなり慎重にそれこそ手探りで分かり合えそうな友人をそれもリアルで探していきたいという気持ちがあります。15年かかってブログで知り合えた友人と呼べる人は片手で足ります。それがわたしの精一杯です。一方でよく知りもしない方と一見親密な言葉を交わそうなどとはまったく思えないのです。
わたしは54歳で会社を自己都合退職して児童養護施設で働くという道を選びました。キャリアを生かせば65歳まで軽く働けると思います。それで失ったお金は給与と年金全部合わせば2億円くらいになると思います。じゃあ2億円でなく一億円でも寄付した方が良かったのか? わたしは断じてそう思いません。わたしが児童養護施設で働いた4年間で少なくとも何人かの子どもの人生を変えるくらいの影響を与えることができたからです。いくら寄付したとこで人の人生は変えられません。希望も夢も掲げられません。こんなことを言うブログですがそれでも面白いと読んでくれる人がずいぶんと増えました。わたしの文章に心揺るがしてくれる方もいるようです。やはり書くということもわたしの人生の一部だなんて思います。実は文筆業で名をあげたいという夢を持っていた時期がありました。でも次第にそれが虚栄心から来るものと悟りました。本を書いて有名になる必要などないのです。たった一人でもいいから施設の子を助けたいと思うのと、たった一人でもいいから誰かの魂を揺さぶりたい、好きで書いているという第一はあるにせよ、どうやらそのあたりは同じ気持ちということのようです。
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