<過去の未公開記事>お読みになりたいというご希望ありますか?

2020年11月21日
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株式投資
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過去記事は4冊の本にして紹介しています。
実はもう2冊未公開の本があります

2010・02・25(木)
豊田章男社長の涙の意味

公聴会出席のあと、トヨタのディーラーの集まりに出席した豊 田章男社長。思わず涙が抑えきれずに絶句した。テレビで何度 も報道されていたので、見た方も多いでしょう。

この涙をなんと見ますか? わたしはかなり自信があります。 あれは「悔し涙」と呼ばれるものです。抑えに抑えていた悔し さが、身内の前で抑えきれなくなる、ということはよくありま す。外では気丈に振舞っていたのに、家に戻りつらいことを家 族に話しているうちに涙が止まらなくなる、というパターン です。

今日の公聴会は、練りに練った作戦をもって望んだ豊田社長、 彼は売り上げの急成長の中で品質や顧客重視の姿勢が十分でなかったことを率直に認めました。そして改善を誓いました。そ のほうが良いだろうという判断からですが、彼の本心は絶対違 います。トヨタくらい、顧客重視で品質重視の自動車メーカー は世界にないと、彼は絶対信じています。これはトヨタの社員 のほとんどが持っている感情です。事実トヨタの顧客重視の姿 勢、品質へのこだわりは世界一です。ホンダとフォルクスワー ゲンくらいでしょう、多少勝負になるのは。GM、フォードな ど足元にも及びません。これは自動車業界にいる人間だったら 誰でも認めることです。その彼が不本意ながら、顧客重視の姿勢が足りなかったと公聴 会の場で認める。屈辱的だったでしょう。そして緊張に緊張を 強いられた公聴会が終わり、トヨタグループ社員の暖かい拍手 に迎えられた時に、彼はそれまでの緊張が緩み、そして抑えて きた感情が息せき切って外に現れでてきた。あまちゃんとも見れますが、本当に育ちが良い素直な人物だ と、この点においてはわたしは好感を持ちます。豊田章男氏 は、どうも雰囲気が皇太子に似ています。自分の境遇を意識し ながらも、自分なりに自分らしく生きようとしているようにも 見える。あのくらいの会社になると、実は経営手腕でやり手とか凄腕で あるとかの必要は必ずしもなく、社員が心をひとつにできる象 徴と言うか、ハイレベルな意味でのリーダー像というか、この あたりも重要になってくる。何十万人の心をひとつにできれ ば、それは素晴らしいことで、凄い力がでるでしょう。それができるには頭がいいとか、力量があるとかとはまた違う、その 人の持つ宿命みたいなものと、その宿命に相応しい人間像が必 要になる。そんな気がします。創業家の嫡男という生まれは、リーダーとして十分社員の誰も を納得させうる存在 . あとはトヨタの社員みなが章男社長のこ とを好きになれば良い。おそらく今日の彼のくやし涙は、トヨ タグループの多くの社員の気持ちを代表するもので、社員のほ とんどが共感したでしょう。そして、これで彼は社員の心を掴 んだのではないかという気がします。実は彼は図らずも、公聴会出席という役割以上の重要な成果を 今回の訪米で上げたかもしれません。本当の意味でトヨタの社 長になるということ。創業家出身者が世襲のように社長になっ たことに対する批判があったことは事実です。社員でもそう 思っていた人もいたでしょう。それが皆が認める我らが社長になる。おそらく彼は帰国すると、大変な仕事ご苦労様と日本のトヨタ 社員からそれはそれは暖かく迎えられるでしょう。そしてまた 涙を流す。今度は感激の涙です。会社は苦難を乗り越えて成長すると言いますが、ここのところ 苦難など縁のなかったトヨタに素晴らしい試練が与えられた、 おりしも社長は豊田章男、まことによくできなシナリオです。 これも運命でしょう。

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以上の記事はわたしが2010年の2月に書いた記事です。現在のブログに公開されていません。過去記事ということで公開しているPDFは投資関連と人生の考え方などだけで、わたしの日常について書いた記事は、読んで仕方ないかなと公開していませんでした。その量はPDFで900ページほどあります。ただこのブログの読者ならご存知の通りカテゴリー分けはいい加減なのでこんな記事も混ざっているようです。この記事などもわたしのトヨタの株主としての視点も含めて感想を書いています。当時のことをご記憶の方もいるかもしれません。そう言うことでもしご希望が多いようであればこのpdfファイルを公開を検討しようかなと思っております。もし読みたいと思う方はこの記事の拍手にクリックをいただければその数で判断しようかなと思います。(ちなみに拍手そのものにわたしにメリットありません)

ついでにこんな記事も

2005・10・04(火)

同じ本を2冊買う、間抜け者

司馬遼太郎と池波正太郎のファンである。 文庫版はたいてい読んでしまっている。両者ともすでに鬼籍に 入り新作は願うべくもない。 ひょとしてまだ読んでいないものは、と本屋で書架をむなしく 探す習慣も最近は消えかけてきた折、ふと立ち寄った大宮駅の 本屋で、でんと目立つところに平積みになった新作の司馬遼の文庫 城を取る話 帯には 「幻の名作、37年ぶり、ついに文庫化」とある。おお、やったー、これは久々に楽しめる、と即座に白帯、と緑 色帯の上下2巻を買い求めた。たしか似たような話を前に読ん だ記憶があるが、あれは池波正太郎だったかな、。だいたい歴 史小説は似たような題材が多いので話はダブリやすい。ということで翌日の名古屋出張に持っていこうと、夜、上巻を かばんに入れようとして、どっちが上かな、と見たら「ゲ ッゲ ゲ 、これは上も下もない。同じ本だ」 わざわざ帯の色を変えているのでてっきり上下だと思って買っ たのに、城を取る話、というのは一冊で終わりだった。それに しても光文社めせこいぞ、帯を2色も使うとは。それに本屋も 本屋だ、同じ本をよく2冊も売りつけるな。わたしはこういう間抜けなことをするとくやしくてくやしくて ならない。660円が660万円くらい悔しい。わたしは翌日、名古屋出張に行く前に、早起きして遠回りだ が、大宮の本屋に本を返しに行くことを決意した。本屋ではレ シートをまだ持っていたので、存外速やかに返品を受け付けて くれた。 帯の色についてと同じ本を2冊買ったことについて、やんわり と指摘したが、アルバイト店員は気にする様子もありはせん。 がまあいい。返品できれば。ということで無事660円を取り 返し、揚々と東京駅へ向かう京浜東北線に乗り込むさて、この城を取ると話、という本を早速電車の中で読み出 した。 関が原の前夜、伊達と上杉がしのぎをけずる国境近くに、伊達 方の城を単身、乗りこんで城をとるという話である。 読む前から、似たような話を読んだ記憶はあったが、確かあれ は池波正太郎だった、と思っていた。池波正太郎と司馬遼太郎 は似たような題材の話も多いのだ。作風も違うし、どちらも楽 しめる。 そう思って読み出したのだが、20ページほど読み進めて気が ついた「ゲッゲゲ、これは以前読んだ本だ」 巻末をよく見ると初版 2002年とある。それにしても光文社め、せこいぞ、何が3 7年ぶり幻の名作、初の文庫化だ、そんな帯はずせ。それにし ても本屋も本屋だ、以前読んだ本をまた売りつけるとは、、と はさすがに言えん。さすがに、また翌日大宮まで行って返品する気力はない。早朝 から会議だ。それにレシートは捨ててしまった。 そう思うと意外とサバサバとした気持ちになってきた。最初の 660円ほどの悔しさはない。これも何かの縁だ。ということで城を取る話、2回目を読んでいる最中だ。おもし ろい、いい本だ。

これは何度読んでいい、

(何を言ってるんだ Harutomo 君、意地を張ってるだけだろ う)

いやいや、本当におもしろいんだって。 この際、司馬遼太郎も池波正太郎も読み返すか、、特に忍者も のは出色だ。

忍者 丹波大介、ご存知かな? 傑作だ。



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