カマンベールチーズのアヒージョ
ガーリックトーストと一緒に
帆立のカルパッチョ
その他いろいろの我が家の夕食
GO TO EATもいいけど
やはりSTAY EATが一番幸せって感じます
夢というのは強く本気で願わないと実現しません。こうなったらいいなあ程度の気持ちでは何も起こらないでしょう。わたしの場合すごい夢を掲げたわけではありません。名声とか社会的地位を得たり、贅沢三昧をしたいとは思わなかった。ただ幸せな家庭を持って、嫌なことをしないで自分らしく自由に生きたい。それができる程度の経済的ゆとりは欲しい。でもそれは貧乏人にとっては強く必死に望み邁進しないことには実現しない夢のわけです。なんとしてでもそうなってみせるという決意もいります。人生は強く望んだこと以上のことは起きないのです。ただいくら望んでも自分にそれだけの力がないとそれは無理だろうなとは思います。また与えられた環境というものもあります。出来ないものは出来ないのです。だから夢という漠然たるイメージから、自分の器量に見合った現実的なゴールを設定しないといけないわけです。そのためには自分を知らないといけない。株で億を儲けて自由人になりたいと思うのは、それは勝手ですが、それが現実的なゴールに設定できるだけの能力を持つ人間はどれほどいるでしょう?分不相応な夢なら持たない方がいいかもしれません。諦めの境地で人生を終わるより、自分ができるだけのそしてそれで納得がいくゴールを得ればそれは幸せというものかなと思います。
わたしの歳になって同年代を見渡すと、幸せな人というのは、自分の夢と自分の器量と、自分の最大限の努力とがうまくバランスされている人が幸せになっているように見えます。頑張れば自分にもできそうなちょうど良いゴールを夢として、そしてなんとか頑張って実現した人です。ごくごく地味な暮らし向きでもそれを望みしっかりと地に足をつけてそして実現したなら幸せです。自分が思っていたような夢から遠く離れてしまった人ほど、幸福感からも離れて、なんでこうなっちゃんたんだろうとか、自分以外にうまく行かない理由を見つけたり、夢なんてしょせん実現なんかするもんじゃない、なんて諦めの境地となっている気がします。つまり夢というのは、自分の力と環境から実現可能なものを真面目に設定しないといけないものだったということです。なぜ夢が実現しないのか? それはできもしないことを、強い決意もなく漠然と望んだから、そんな気がします。
さてですが、その一方で、十分なお金や地位や、あるいは株式投資でも成功を得ているのに、どうにも幸せそうに見えない人たちもけっこういます。なんとなく儲けたけど儲けて初めてどう使おうか考える人、出世、栄達が目的化してそのために生きている人、こういう人たちも自分の人生の中で上手に夢の設定ができなかった人たちかもしれません。人生が主、生きていることだけが真実、その他はすべて従という位置づけがどこかでひっくり返ってしまった人たち。なかなかに難しい。ちょうどよい幸せを得るというのはまるでピンポン球を卓球台の上にそっと置く作業みたいなものかもしれません。
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