肩書がないのではない、要らないのである
2020年10月28日

今日も朝1番からゴルフ
2番が温泉
3番がモーニング
ホームコースは天敵がいないのかカモの数が多いです
カートで近寄っていくと群れがいっせいに飛び立つけどしかたないよね
ゴルフしてんだから
首尾よくアーリーリタイアを果たしたとして、それで自分でどう名乗ろうか、いろいろ考える人が多いようです。事実わたしも考えました。それくらい友人知人からよく聞かれたし心配もされたんです。「どうしたんだ?」「これからどうするんだ?」生活に困っているんじゃないかと米を送ってくれた友人もいたし、しばらく会ってない友人から連絡があって様子を見に来られたり。心配してくれて恐縮ですけど、わたしの実態を語ると逆に羨ましがられるって展開でした。
今は肩書なんてまったく気にならなくなりました。名前があります。ハルトモもいいですね。ちなみにわたしはネットではずっとこの名前です。最初から長く使うつもりで決めて実際長く使ってます。たまに直接会うと呼ばれて恥ずかしいようなハンドルネームの人もいますけど、わたしは問題ないです。それで肩書ですけど、今のわたしには必要ないわけです。組織に属さない自由人に肩書はむしろ不似合いです。ただ長年肩書きをつけるのに慣れていたのでそれが身に染み付いて、ないと寂しいなと最初思うということではないでしょうか?
逆にリタイアライフを十分謳歌できずにどこかに不安とか不満を抱えていると、なんか肩書が未練に感じるかもしれません。そういう人はリタイアしないほうが良いかもしれません。たとえ金があっても。肩書があったほうが良いという人のほうが実際は多いでしょう。ただその肩書のためにいろいろやるのが嫌になってリタイアしたいということ、こういう人は肩書が恋しい。わたしは会社にいて肩書のために仕事をするような人間じゃなかったので、別に肩書なんか平気で捨てられた。そういう人がリタイアライフをよりエンジョイできるのかもしれません。つまりリタイアライフの準備は現役時代に始まっているってことなんでしょうね。
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