儲からない奴ほど、的外れに細かく見当違いに大雑把である
2020年10月11日

時々マロは勝負師の眼をする
時々コメントのやりとりをしている億ブロガーの方が面白い記事を書かれている。言われていることは、「大雑把に考えても利益のでることをしなさい」わたしにするとまったく同意という記事です。実はわたしも似たようなことを書いてます。まともなどんぶり勘定をする@2013年とか、 細かく見て大雑把に判断する@2014年とか。どんぶり勘定とかで検索すると似たような記事が出てきます。だいたい似たようなことを書くようになるわけです。
問題はこういう記事を読んで、どう思うか?ということです。ああそうか、投資は大雑把でも勝てるんだ、と思う人はまず勝てないでしょうね。締めるところは締めると言います。とことん追求した過去があった上で、一歩引いて大雑把にやるってことかもしれません。受け手によって受け取り方は変わります。言うならある程度のレベルの人でないと理解できないことを言っているわけです。剣の達人が、だいたいでいいのよ、と言っても、初心者が本当にだいたいでいいわけはないのです。
一方、わたしが知っているプロ相場師さんはかなり細かい勝負をしている人がいます。ところが実際会っていろいろ話してみたり、ブログとかよく読んでいくと、自分が身に付けた反射の中で、だいたいで動かれているんです。ここはこう行っておくか? じゃあこうするかとか、そこに鷹揚さがある。だから一見違うことをしているようでそれを貫く芯がある。ところが弟子は細かいところばかり真似ようとする。本質は鷹揚さにあるんだけど、それは細かさを追求した上で、自分で気付きなさいということでしょう。その本質を理解できる人でないと勝てるようにならないとわたしは思ってます。
つまりですよ。細かなことを言う人も大雑把で良いという人も、もしも本物であるなら実は同じ真理を語っているということです。物事にはこうやって両面があって、一番大切なことは何か?本質を押さえてわかっているかが大切なんだろうって思います。だから一見逆のことを言っていても話が通じたりするんです。
これを逆にやるのが理論を振りかざす初心者とか、そしてろくに儲からないベテランとか。知識はたっぷりとあって立派な能書きは垂れるけど長年やってろくに儲からない人。自慢は生き残ってきたということ。やらなきゃ生き残れるのにね。そういう人ほどまさに的外れに細かく見当違いに大雑把なんだろうって思います。ろくな結果が出ない以上そう説明するしかないわけです。
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