賃貸入居を申し込んで断られた思い出

2020年09月08日
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人生の考え方
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昼食
つけ麺で豚肉とネギが入って
カミさんが試行錯誤して作ってくれて
お店の味に近くなってます

貸しているマンションの退去の手続きで印鑑がいるとかで不動産屋に顔を出した。退去までまだ1ヶ月あるんだけど、早めに賃貸情報に上げたところ、すぐに二件内見の申し込みがあったそうだ。一人はピアノ希望で、ピアノは我が家も置いていたので問題ない。相当乗り気とのこと。まだ1ヶ月あるので、申込をしてくれた人間から選べば良いとのこと。まあそういう流れかなと思うけど、それでふと大昔のことを思い出した。1994年だったか? 学芸大学の6畳一間のアパートにいたわたしは車を買うことにして、それで田園都市線のどこかに引っ越そうと探していた。2DKのアパートで気にいったのがあって申し込んだ。

内見の時に大家にも会った。地主で自宅の敷地内にアパートを建てていた。たぶんたまプラーザかあざみの駅だった。それでいつ引っ越そうかと考えていたら、不動産屋から電話があって、今回は縁がなかったことにと断ってきたのである。驚いた。今思えばきっとわたしより好ましい賃借人が現れたのであろう。はたまた差し当たって断ったか、独身の一人もんはそれは好まれないとは思う。結局田園都市線の田奈という駅のアパートに入ったんだけど、そこも不動産屋が入れてやるという高飛車な態度であまり気分がよくなかった。

それが1994年のわたし。会社ではまだ平社員だった。そのわたしが10年後の2004年には家庭を持ち子供がいて自宅もあって、そして会社では部長になって株で軽く億り人。黄金の10年であった。株は最初に口座を開いてから億を得るのに5年くらいか。これでさすがに一段落かと思ったら次の10年はさらに光り輝いた。会社では売り上げはますます伸びさらに昇進して、株はリーマンショックはノーポジで迎え底値を拾った。だが一転2012年会社を辞めて児童養護施設に飛び込み子供たちと奮闘する道を選ぶ。その背景には自分も児童養護施設出身ということもあったけど、震災の4日目に単独で気仙沼に乗り込んで実母と数十年ぶりに再会しての救出劇が自分なりに契機になった。自分が納得がいくようにとことん格好良く生きてやれという気になったんだと思う。

話を賃貸に戻すと、退去する方はその後情報が入り実は転勤ではなかった。家を買ったそうである。不動産屋によると今は転勤はほとんどないそうだ。そのかわりに個人の動きが活発なんだそうだ。働き方も変わり家にいる時間も長くなってもうひとまわり大きいところに引っ越したいとか、もう少し郊外に出てもいいかなとか、それで動きが活発らしい。勤務先の後押しもあるのかもしれない。たぶん東京の人が移住したいと思う街なんだろう。ということで今回は法人契約に拘らずにいきたいと思う。ただ綺麗に使ってくれる良質な住人でないといけない。独身のおっさんなんてもってのほかだけど、幸いそう言う人がわたしのマンションに申し込んでくることは物件のクラスの的にない。25年前のわたしから見たら,今のわたしはあまりに遠く、すでに接点さえ見当たらないのである。
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