羊たちの午後
2020年07月13日
アマゾンプライムで検索していたらアルパチーノが出てきて、それでふと古い映画を思い出した。「狼たちの午後」という映画である。ゴッドファーザーとどちらが先か覚えてないけど前後してでたはずだ。その映画を見たのは、たぶん大学生の時、三鷹オスカーという安映画館ではなかったか? 当時は古い作品を何本も安値で公開する映画館のことをどういうわけか名画座と呼んでいた。三鷹オスカーはその名画座の草分けであった。まだ映画館の中でタバコが吸える時代。画面に紫煙が漂い、なんともデカダンな雰囲気を醸し出していた。
狼たちの午後というのはどういう映画かと言うと、これは古い記憶なんで細部は間違っているかもしれないのはご容赦いただくとして、銀行強盗の映画である。一攫千金を目論んでアルパチーノとその仲間で銀行に押し入る。すんなり金を奪って逃げるつもりが、間が悪いことにその日は銀行の金庫に金がなかった。たぶん下調べが悪かったのだ。それでどうだかこうだかしているうちに、逃げ遅れて銀行は警察に囲まれてしまう。仕方なく行員やお客を人質にして立て籠る羽目になる。でも人質はいても肝心の金がない。一攫千金の目論見が、なんとか体一つで逃げきれないかが目標になってしまう。それでマスコミは来るわで大騒ぎになって、事態は混乱迷走する。最後は破滅的なラストになるが、結局最後まで犯人たちは、自分がどこで何を間違えたのか、どうすればよかったのか、よくわからない。人とはそうやって生きていくものというメッセージをわたしはその映画から感じた記憶がある。
その映画を見たときに、わたしは親父のことを思い浮かべた。わたしの親父のあかんたれぶりはここで何度も書いている通り、ボンボンとして育てられて御曹司で社長におさまるはずがおかしなことになり、結局シゲちゃんの紐として生きていた。その親父の口癖が、ため息ついての「なんでこうなっちゃうのかなあ」であった。何をやっても、どこかでおかしくなってうまくいかない。親父は最後まで自分に原因があるとは思わなかったようだ。身に起こることをなんでも人のせいにしていた。親父も自分がどこで何をどう間違えたかわからない人だった。
ここで株式投資について長年いろいろ書いてきている。わたしは負け組のことを肉食動物に襲われるイメージで羊とよく呼んでいる。羊は柵の中にいれば安全なのに、どういうわけか危ない野生エリアにのこのこと出てくる。美味しいものでも転がっていないかと思うようだ。だがほとんどの羊は美味しいものを得るどころか我が身さえ危なくなる。株式投資をして損するたびに、勉強したとか、いい経験をしたとか思うが、結局のところ、それは身に付かず、危ない端を渡ろうとしたほどの成果を得る羊はほとんどいない。
アルパチーノと私の親父とそして負け組さんとを繋げるキーワード、さてそれは何であろうか? わたしが答えを述べることは冗長であろう。読者の想像力をたまには逞しくしていただこう。聡明な読者であればすでに思い当たることかと思う。言えることは、今のわたしがあるのは、彼らの対極にある何かがわたしにあった(できた)からだと今のわたしは強く思う。それはひょっとして、わたしは授かったか、あるいは否応なく育んだか、自分で獲得したとは言い難い。その意味においてはわたしは自分の幸運に感謝している。簡単そうでいてどうやら簡単なことではないらしい。
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