古い記事に涙いただく

2020年06月20日
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日々の雑感ーリタイアライフ
8年ほど前に自分が書いた記事に感動したとありがたいコメントをいただいた。わたしが児童養護施設に勤務していた時に書いた記事である。それで何だったかなと読んでみた。あーそうか、こんな記事を確かに書いたなと思うが、読み返すと自分が書いたものだということを忘れて、不覚にも落涙の体に至る。この10年で涙もろくなったのかなと思う。

手前味噌だが、たぶん原作を凌ぐ要約と解説かもしれない。なぜなら原作を読んで誰かが感動したなどと、児童養護施設でも聞いたことがないからだ。たぶんこの古い記事をご存知ない読者の方が遥かに多いかと思い、ここにご紹介する。事情があってリンクはできないので再掲する。これを機会に多少文は整えた。


スクリーンショット 2020-06-20 15.43.11

百万回生きた猫というのは
死ぬたびに生まれ変わる猫の話だ。
いろんな飼い主に飼われて愛される
死ぬたびに飼い主は悲しみ泣くが
また蘇り別の人生ならぬ猫生を生きる
 
それを100万回も繰り返す
ある時猫はどら猫であった。
どら猫は白いメス猫に恋しそして子供をもうける
子供たちは成長してそして巣立って行く
その猫にとっては初めての経験だった。
 
どら猫と白い猫は幸せに一緒に暮らしていた。
どら猫は本当に白い猫が好きだった。
 
いつしか白い猫も老いてきた
ある日のこと
白い猫は冷たくなって動かなくなった
それを見て、どら猫は泣く
一日中ずっとずっと泣く
泣き終えた時にどら猫も
白い猫に寄り添い冷たくなって行き
そして二度と蘇らなかった
 
 
そういう話である。
100万回生きていろんな飼い主から愛された猫
でもその百万回の愛される生は
 
たった一回の
何者かを愛する生に比べるべくもない。

生きるということはすなわち愛するということである。
 
生きていればいろんなことがあるだろう。
つらいと思うこともあるだろう。
愛する者のために流す涙もあるだろう。
でもそれが生きるということだ。
 
それが作者のキーメッセージだ。
 
児童養護施設で会議があった。
それぞれの担当児童について発表する月例会議だ
 
わたしは自分の担当のそれぞれの子供の長所をまとめ
それをどう伸ばしていこうか、という話をした。また
高校生などは社会への巣立ちに備えどう応援していくか
そういう話をした
 
そういう発表は他の職員には初めてのことだったようだ。
みなは、最近は遅刻が多いとか、
言うことを聞かないとかまた反抗的であるとか
大人の視線から見て子供の問題点を取り上げて
それをどう是正するかを話すのである。
逆に言えば、大人のいうことを聞いてルールを守り
従順に生活している子供はまったく問題がない、ということになる。
 
わたしはこういう話をした。
 
わたしは30年以上営業をしてきました。
何かを買ってもらうということは強制できることではありません。
お客は命令できない。それをどうやって買ってもらうか、
それが知恵であり工夫です。
わたしは子供を部下でなく
お客だと思ってます。
施設では大人は子供に命令できるでしょうが、
子供の立場にたつとそれをわたしはしたくない。
心に傷を持つ子供が好き好んで暮らしている場所ではないのだから。
 
川の向こうからこっちへ来いと呼ぶのではなく
自分が川を渡り、相手のところまで赴き
そして寄り添い、ひょっとして回り道につきあって
それで最後は一緒に川を渡る
愛し共に生きる
  
妻と子供を愛し、親を愛し、
そして、さらに愛すべき施設の子供たちがいる。

百万回生きた猫よりも
それ以上にきっとわたしは幸せである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
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