裁判所での紛争解決を経験すると考え方が変わる
2020年06月16日

結果はわたしの主張が通ったんだけど、面白かったのは裁判所での調停そのものは裁判官まで出席しての詰めの段階で破綻した。ほぼ条件が決まりかけていたのに最後に相手が妙な条件を出してきたのをわたしが拒否したのだ。理不尽な要求なので拒否しただけだが、それが言えたのは、わたしには、時間をかけて揉め事が大きくなっても構わないという余裕があった。納得がいかないなら本裁判をを起こせばいいのだ。
これが自由人の強みである。組織に属していないから職場や取引先に揉め事が知られて困るということもないし、暇だからいくらでも裁判所に出頭できる。いつまででも戦える。結局その態度に相手方は折れてきた。早くそれも穏便に解決をしたかったのは向こうだったのだ。ということでわたしの主張通りで良いとの連絡が相手方から入ったが、結果からいうと先方は調停に応じた方が得だった。相手を見誤ったわけである。
裁判所では調停と言えど、最終的には裁判官も出席して調停合意書が交わされ、それは判決と同じ効力がある。相手と直接交渉する必要もない。調停委員という人がいて、その調停委員に自分の主張を伝えれば双方の歩み寄りの助けをしてくれる。裁判所からの呼び出し状が来て出頭しない人はほとんどいない。出てこないとかなり不利になる。交渉にならない相手を呼び出すとても便利なシステムである。ほとんどの紛争は判決ではなく調停で十分だと思う。もちろん相手も強硬なら裁判になるけど、裁判でも裁判官は強く和解を勧める。
今後の人生でどれほど問題を抱える機会があるかわからないけど、例えば消費者センターに相談するとかお客様相談室に交渉するとか、そんなことをするくらいなら、さっさと裁判所に行けば良いとわたしは思っている。トラブルだって当事者同士でラチが開かない話も裁判所なら決着がつく。その時に自由人と裁判所というのは非常に相性が良いということである。ちなみに近々裁判を起こすことになりそうだ。少し変わったもので相手は大企業だが直接の紛争相手ではない。ただ訴訟ではあり、その後紛争相手との法的手続きに入る目論見。それも本人訴訟で戦う気である。これから少し忙しくなる、いや暇つぶしになる。言葉は悪いが裁判所は大人の知的ワンダーランドである。
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