株はどかんと大儲け狙いから(良い子には勧めません)

2020年06月15日
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株式投資
自由人になるためにという記事を以前書いた。反響はほとんどない。儲けた人には当たり前に思えることが、儲けたことのない人には全くピンとこない、というものの典型だろう。株で儲ける人は少ないけど、その少ない中、儲ける前から、この本質がわたしはわかっていたんだね。たぶん競輪というギャンブルの経験と、まあ言うなら阿佐田哲也全編を繰り返し読んだおかげかもしれない。歴史小説も学び方では役に立つ。勝負の綾とか呼吸の話だ。

勝負師の経験がないと、株という勝負の世界にやってきても、安定を求める。毎年20%で運用して10年後にはいくらがいくらとか、毎日いくら儲けたいとか、もう目標の時点で安定路線を望んでいる。だがその考えは根本から間違っていると、これを言う人がほとんどいない。特に業界は言わない。個人投資家にはそう思わせておいたほうが都合が良いからだ。投資を簡単に見せる仕掛けである。100万円を120万円にした。この調子で10年続ければいくらだとか、同じ方法で自然と一億円を一億二千万円にするという話になるけど、どうせそこまでいくまでにほとんどの投資家は負けてしまうから、どうでもよいわけで、夢なら勝手に見させておけ、ということである。当たり前だが同じ利回りでも金額が大きくなれば別世界である。

本当は株というのは最初にどかんと行くくらいでないと資産成長のサイクルに入ってこないのです。最初は倍々ゲームくらいの勢いです。これは商売も同じです。ゼロから新規事業を成功させた経験がわたしは何度かあるけど、うまくいくものは最初は倍々の勢いで伸びるんです。それである程度の規模になると成長も落ち着く。やり方も変わっていきます。

逆に言うならまとまった資産が築けたら、以前のようなリスクを取る必要がない。つまり勝負の仕方は変わっていくのが当たり前。ラダークリシュナンというインドの哲学者をご存知だろうか?彼の言葉を簡単に言うなら、もしも安定というのがあるとすれば、それは変わり続けることこそが安定であるということ。勝負の世界もそこに居続ける以上、変わり続けていかなければいけない。変化に対応したものこそ生き残る。ダーウィンを引用しての相場のプロのあらなみさんの常套句だけど、激しく同意しますね。

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我が家のクローゼット
そこにも絵が!
余っているから置いてあると言えるけど
やはりあるといい

超広角カメラのスマホを買ったけど
室内を撮ると画角が狭苦しくなって部屋など小さく見える
狭いクローゼットがより狭く見えるね

こうやって、自分の暮らしとか人生観とか生い立ちとかを公開している人は株ブログでは少数派である。まあゼロから始めた倍々人生だから、この程度の暮らしではしゃいでいるのはご愛敬というところであろう。もともと裕福な人間が自慢をしてもわたしにようには粋にできないだろう。貧乏を知っているからこそのささやかな自慢である。貧乏人よ、あなたもこっちに来てごらんと、馬鹿にしているようで案外激励しているのかもしれない。

ただ何度も同じことを言うけど、ブログはわたしの作品です。あくまでも読み物として書いています。嘘や出鱈目ならこんなリアルに書けないので、ほとんどリアルだけど、でもわたしの考えをここで意見表明しているわけではない。実際のわたしはまた違うことも考えているし、その考えていてもその度合いはだいぶ違う。わたしを直接知る人は文章と印象が変わるという人もたくさんいます。文章の部分も大いにあるという人もいます。

私が書くことに批判や反論がまったくと言っていいほどこないのは、これは文章力だと言われた方もいるけど、たぶん自分と文章に距離感があり、自分が書いたものさえ突き放す側面があるからかなと自分では思います。だから長いこと書いていても、破綻がない。その時はそう思ってそう書いたというだけのこと、でも繋がっている。それがずっと続いているわけです。
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